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ローザ・ボヌール城マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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ローザはルーヴル美術館へ通って動物の研究を始め、巨匠たちの作品の模写をして、それを販売。母親に呼ばれていた「ローザ」の名でサインをし、洗礼名「ロザリー・マリー」を捨て去ります。画家として生きたいと望んだ彼女は、自身のアトリエを構えて、フランス全土を旅して回りました。そして1841年、動物に情熱を傾けていた19歳のローザは、サロンへの挑戦を始め、1848年《カンタル種の牛と雄牛》で金メダルを獲得するのです。デッサンのために森や家畜市を歩き回り、パリ植物園にも出かける日々──そして1853年、パンテオンのフリーズにインスピレーションを得た《馬市》で、ローザはついに大きな成功を収めます。馬の品種への彼女の知識、動きを捉える感覚、仕上げの繊細さが表れたこの作品は、ベルギーの美術商を経て、アメリカのコレクターの手に渡りました。パリで名を成したローザは、逃避を夢見るようになります。そして、この作品の売却によって手にしたお金で、1860年、都会の喧騒を逃れるために、フォンテーヌブローの森の外れの邸宅ビー城を購入し、そこにアトリエを構えます。ローザは37歳にして、自ら手にしたお金で、土地と邸宅を購入したのです。これは当時の女性芸術家としては例外的なことでした。

ローザは、恋人の画家ナタリー・ミカとともに、芸術に身を捧げたシンプルな生活を送ります。動物に囲まれ、男性のように馬に乗り、短髪で、葉巻を愛飲していました。ローザはひとつがいのライオンを購入しますが、後に近隣との関係で手放すことを余儀なくされています。1865年、ローザは皇后ウージェニー(1826-1920)の突然の訪問を受けます。皇后は彼女の作品を見るためにやってきたのです。翌年、皇后は再びローザのもとを訪れ、彼女にレジオン・ドヌール勲章を授けました。ローザ・ボヌールはこうして、レジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ等級の位についた初めての女性芸術家となったのです。1894年にはオフィシエ等級に昇格しています。1889年、ローザは恋人のナタリーと死別しますが、その後、アメリカ人の画家アンナ・クルンプケ(1856-1942)と出会います。アンナは1898年からローザが亡くなるまでビー城で暮らし、ローザの遺産相続人となりました。1900年、アンナはアトリエに残されていた作品とコレクションを売却する一方で、ビー城はそのまま保存しました。

18世紀に建造されたこの城は、洗練されたシンプルな石組みとスレート葺きの屋根が美しい建築です。ローザは家中に電気を配線し、建築家のジュール・ソルニエ(1817-1881)にアトリエを作るよう依頼しました。完成したアトリエは、鉄骨造でルーフテラスのある初めての建物となりました。ファサードはネオゴシック様式です。南側にあるアトリエはとても明るく、時刻と天候に応じて光を調整できるように、ローザは内側に鎧戸をつけました。このアトリエも当時の典型的なネオゴシック様式で、中世的な雰囲気が反映されています。そのモニュメンタルな大きさ、弟のイシドール・ボヌール(1827-1901)による2対の彫刻で飾られた暖炉、何よりも天井の高さが印象的な空間です。

城の見学は、明るい光に満たされた、居心地の良いティーサロンを通って始まります。扉を入り、恋人アンナによるローザ・ボヌールの肖像画の前を通ります。ローザは襟元にレジオン・ドヌール勲章をつけています。それから、螺旋階段を上って2階に行きます。右手には小さな書斎がありますが、父親による4歳のローザの美しい肖像画をよくご覧になってみてくださいね。赤い靴に、赤い縁飾りのある白いドレスを着て、小さな道化師の人形を抱き、足元にはノートが置かれています。机の上には、父親の写真があります。時代に先んじていたローザは、家畜市や屠殺場に行くためにズボンを穿く異性装をする許可を県庁に申請しなければなりませんでした。壁にはローザが一緒に暮らしていた恋人ナタリー・ミカの肖像画があります。音楽界とも近く、ローザがレジオン・ドヌールを受勲した際にはジョルジュ・ビゼーが曲を捧げています。アンナ・クルンプケはこの事務机でローザの伝記を書きました。

Update : 2020.9.1

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