ポー城国立美術館

今月ご紹介するポー城国立美術館は、スペイン国境からおよそ40km、フランス南西部ピレネー山麓に広がる、ベアルン地方の中心に位置します。ポー城は1921年に国立美術館になりましたが、もともとはブルボン王朝最初の王アンリ4世が1553年に生まれた場所として知られています。19世紀の大規模な修復の際、多くの品々が集められてアンリ4世ゆかりの場所となりました。

時代の権力者によって改築されてきたポー城の歩み

▲城の正面入り口(部分)。

 フォワ(Foix)の伯爵でありベアルン(Béarn)の子爵であったガストン・フェビュス(Gaston Fébus)が1372年から1379年に築いた四角いレンガの塔が、かつての城塞の痕跡をとどめています。フェビュスは、バスク地方の端から、現在のスペインのカタルーニャ地方の境界まで広がる領地を治めていました。1512年、ナヴァール地方の南部がスペイン王国の一部となると、ポーはバス・ナヴァール地方の首都になります。1529年から1535年、アンリ・ダルベレ(Henri d'Albret)とその妻でフランソワ1世(François Ier)の妹マルグリット・ダングレーム(Marguerite d'Angoulème)がナヴァール王国の王座につくと、中世の古い城をルネサンス様式の宮殿へとつくり替えます。

▲城内大階段から見上げるフリーズ。

右手の大階段には、この城の主人たちの頭文字HとMのフリーズが施されています。


▲庭から眺める城の佇まい。

 その後宮殿は、19世紀半ばにフランス王ルイ=フィリップ(Louis-Philippe/在位1830-1848)が全体の改修を決定するまで、ほぼ同じ姿をとどめることになりました。内装はルネサンス様式を保ちつつも、快適さを求め、19世紀の宮廷の儀礼に合うように完全につくり替えられました。建物には塔が付け加えられて拡張されます。しかし、改修を決定した本人、ルイ=フィリップは一度もこの宮殿に来ることはありませんでした。しかし、その後、改装工事を引き継いだナポレオン3世(Napoléon III)は、ポーに何度も滞在することになります。ファサードはすべてつくり直され、正面玄関はルネサンス様式の柱廊と4階建ての塔を付け加え、完全に改築されたのです。

原文・写真:バンジャマン・ヌーヴェル(Benjamin Nouvel)
和訳:阿部明日香
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時代の権力者によって 改築されてきたポー城の歩み
19世紀の豊かな装飾を愛でる
アンリ4世伝説を 語りかける展示室

ポー城国立美術館

  • 所在地
    2, rue du château - 64000 Pau - France
  • Tel
    +33(0)5 59 82 38 02
    33(0)5 59 82 38 22
  • URL
    http://www.musee-chateau-pau.fr/
  • 開館時間
    <9月16日~6月14日>
    9 :30-11 :45、14 :00-17 :00
    <6月15日~9月15日>
    9 :30-12 :30、13 :30-18 :45
  • 休館日
    1月1日、5月1日、12月25日
  • 入館料
    <常設展示>一般:5ユーロ
    割引:4ユーロ
    毎月第一日曜日は無料

MMFで出会える ポー城国立美術館

  • MMFインフォメーション・センターでは、ポー城国立美術館のカタログやパンフレットなどを閲覧いただけますす。

 

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