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パリ市立プティ・パレ美術館「イヴ・サンローラン」展 backnumber
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まずは、サンローランがクチュリエとしてのデビューを果たしたクリスチャン・ディオール(1905-1957)の“お店”に入ってみることといたしましょう。サンローランは、1957年、21歳にしてディオールの跡を継ぎました。翌年には早くも、「トラペーズ」コレクションで、ドレスのウエストの絞りをなくして服の作りを軽くすることで、束縛された女性の体を解き放ちます。1960年には、ストリートシーンからインスピレーションを得て、黒ミンクの毛皮で縁取りをしたエナメルブラックのクロコダイルの上着を発表。従来はバイカーが着る不良少年のファッションを思わせる黒ブルゾンで、人々を挑発したのです。ここで流されている短い映像も、是非、ご覧になってくださいね。サンローランがなぜ、若者のファッションのシンボルや好みをすばやくキャッチすることができたのかがよく分かります。また、モデルが着るドレスのドレープを直接取り、仕立て作業をするその様子も見せてくれます。

続いて、パートナーであるピエール・ベルジェと共に1962年に興した彼自身のメゾン・ド・クチュールの展示室へと参りましょう。オートクチュールと距離を置いたサンローランは、大胆にも、実用服や軍服、男性服からインスピレーションを得て、独自の新しいスタイルを生み出しました。こうした服に新たな光を当て、女性モードへと生まれ変わらせたサンローランの独創性には、ただただ驚かされるばかり。アクティブな現代女性を、シンプルで、そして少々手荒いファッションで飾ることで、女性モードの歴史をひっくり返したのです。

サンローランの仕事は、パリのマルソー通りの5番街にある修道院のような仕事場から始まりました。そこで、彼が使っていた作業机や架台式テーブル、そしてクレヨンや写真といった彼のまったくの私物が展示されていることに、わたくしは感動いたしました。シンプルかつ簡素であった彼の暮らしぶりが偲ばれます。そしてここでの映像もお見逃しにならないでくださいね。白いブラウスを着たサンローランが、たった1本のクレヨンを使って、驚くほどすばやく正確にいくつものクロッキー画(ドレス、コート、テーラードスーツなど)を描いていく、その非の打ち所のない姿といったら!なんと魅惑的なのでしょう!そして、1962年から2002年までの間に、彼は4,000着ものオートクチュールを作ったのです!

長方形の大きな展示室では、サンローランのメゾンの服を身にまとったマネキンが立っていたり座っていたりと、まるでファッションショーのように並び、機能的で、時代を超越したサンローランの作品を紹介しています。金色の大きなボタンをあしらったマリンルックのピーコート(1962)や、大きな輪のベルトがついたベージュのサファリ・ルック(1968)と、次々と素晴らしい作品が現れます。とりわけ素晴らしいのは、女性モード初のパンタロン・スーツ(1967)。白いコットンシャツの上にストライプのジャケットをはおり、黒地に白い水玉模様のシルクのネクタイをして、お似合いの小さなバッグが添えられているのです。天才クチュリエは、女性らしさを保ちながら、着やすくて着心地のよい服であるパンタロンを女性にはかせたのです。

プレタポルテ・ライン「サンローラン・リヴ・ゴーシュ」では、より若々しいスタイルの上品かつクラシックなワードローブを、リーズナブルな価格で販売し、時代を変えました。このように、サンローランの作品はいずれをとっても、彼の自由な発想と生きざまの表れなのです。その一方で、彼が、グレース・ケリー公妃(1929-1982)や、ウィンザー公爵夫人(1896-1986)、女優のカトリーヌ・ドヌーヴなど、さまざまな著名人のために服の仕立てを手がけていたこともお忘れにならないでくださいね。ドヌーヴとは真の友情を結ぶようになりましたが、今回の特別展では、彼女のワードローブを再現した小部屋も用意されました。中央の玉座に飾られた絹の白襟が施された黒いドレスは、ドヌーヴがルイス・ブリュエル監督(1900-1983)の『昼顔』(1967)で着ていたもの。この有名かつ斬新な映画で、彼女は気晴らしに春をひさぐブルジョワジーの女性を演じています。

大きな展示室の奥では、ジャン・ルー・シーフ(1933-2000)が撮影した、挑発的なサンローランのヌード写真に照明が当てられ、アイコンのように展示されています。この写真は「プール・オム」というオー・ド・トワレの広告として使われ、当時大きな話題を呼んだものです。


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