マリー=アントワネット ゆかりの地を訪ねて
2005年に生誕250周年を迎えたフランス王妃マリー=アントワネット。
その華麗で数奇な生涯は、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。
新作ミュージカルの上演に続き、来春にはソフィア・コッポラ監督
による映画が公開されるなど、来年も引き続き注目を集める様子。
本国フランスでも、ゆかりの地、コンピエーニュやフォンテンヌブローで
展覧会が開催されています。
今回MMFでは、フランスの地に残る王妃ゆかりの場所を訪ねました。
現在は宮殿美術館として公開もされている居城には、
今もアントワネットの面影がそこかしこに息づいていました。
©Photo RMN - ©Droits réservés  
 
王妃好みの空間に整えられたコンピエーニュ城
▲パリから北東約80kmに位置するコンピエーニュ。現在の城は1738年、ルイ15世の時代に完成した。
©Photo RMN - ©Gérard Blot
オーストリア皇女マリア=アントーニア(後のマリー=アントワネット)は、1770年5月14日、国王ルイ15世に招かれコンピエーニュ城を訪れました。当時、宮殿は改装工事の真っただ中。職人たちがあちこちで忙しく立ち働いていたことでしょう。マリア=アントーニアは、ここで夫となる王太子ルイ・オーギュストと初めて対面します。マリア=アントーニア14才、ルイ・オーギュスト15才、ヴェルサイユ宮殿での結婚式を数日後に控えてのことでした。
4年後、ルイ16世として即位したルイ・オーギュストは、コンピエーニュ城を愛したルイ15世の遺志を継ぎ、宮殿改装の大工事を継続します。この工事は、共和国誕生の前夜1792年まで続きました。
マリー=アントワネットは、1782年、新しくテラスの上に建設された翼を自分の居室として選びます。王妃の階段を二階へとのぼると「王妃の衛兵控えの間」「貴族の間」「王妃の遊びの間」「寝室」「ブドワール1」「浴室」「サロン・ブドワール」が続きます。内装は壮麗さの中にも女性らしさが感じられるスタイルに整えられました。特にすばらしいのは「王妃の遊びの間」と「寝室」。壁の上部に彫られたフリーズ2、大理石の暖炉、豪華な額に縁取られた大きな鏡などが現在もなお、当時のまま残されています。扉の上のパネルには四元素(「火」「水」「空気」「土」)と四季をテーマにした寓意画が描かれています。1786年にはタフタ3の壁かけやシルクのカーテンが届けられ、コンピエーニュ城に王妃好みの空間ができ上がりました。
▲「王の間」にあるルイ15世の振り子時計。
Musée des châteaux de Versailles et de Trianon
© SP RMN / Daniel Arnaudet
     
▲「王妃の遊びの間」にある猪の宝石箱。
Musée national du château de Compiègne (dépôt du musée du Louvre)
© SP RMN / Franck Raux
▲アントワネットの衣装だんす。
Commode aux tourterelles,chambre du roi
Musée du Louvre
© SP RMN / Franck Raux
  ブドワール1:婦人の私的な小部屋。
女性がひとりになれる空間はルネサンスの頃から 「祈祷室」や「簡素な小部屋」というかたちで存在していたが、 18世紀になると女性の文化を凝縮したような甘美で豪奢な空間「ブドワール」が誕生する。外の世界と隔絶され、婦人が人目を気にせず自由 にふるまえる完全なる私的空間が生まれた。「ブドワール」 は、この時代の官能的な文化と密接に結びついている。


フリーズ2:壁面に施された帯状の装飾
タフタ3:平織りの薄地絹織物
 
 
 
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王妃が改装を待ち望んだフォンテーヌブロー宮殿
▲フランス・ルネサンス発祥の地といわれるフォンテーヌブロー宮殿。
©Photo RMN - ©Gérard Blot
マリー=アントワネットは、毎年夫に伴い、狩猟の季節となる秋に4週間から6週間、フォンテーヌブローに滞在するのを習慣としていました。豊かな森を背にしたフォンテーヌブロー宮殿は、格好の狩猟場でした。
ところが、この宮殿は、1740年代以来、場所によっては1640年代以来改装されておらず、内装は時代遅れで老朽化も目立っていました。マリー=アントワネットは、フォンテーヌブロー宮殿の改装許可が下りるのをじりじりしながら待っていました。
モダンなものを好む王妃は、宮殿の古くささにはとても我慢ならなかったのです。
1785年の秋のこと。例年のようにフォンテーヌブロー宮にやってきたルイ16世は、王の間があまりにも狭いことに我慢できなくなりました。またこの頃には、王妃の間の老朽化と内装の時代遅れは目に余るほどになっていました。こうして王はこの年ようやく、王の間の拡張と、王妃の「ブドワール」の改装を決定したのです。
▲マリー=アントワネットのブドワール1
© Photo RMN- Gérard Blot
▲ブドワールを飾る古代風装飾。
© Photo RMN- Gérard Blot
改装の指揮にあたったのは、フォンテーヌブロー宮の監督官補佐をしていた若き建築家ピエール・ルソーでした。ルソーは、それまで王室御用達ではなかった芸術家も起用するなど積極的に働き、その才能を存分に発揮しました。結果、当時の伝統に反して、絵が彫刻の飾りより重要な位置を占める斬新な空間に仕上がりました。
改装後のマリー=アントワネットの「ブドワール」には、王妃が特に好んだ「花模様を多用した古代風装飾」を最も完成した形で見ることができます。棕櫚の葉、唐草、カメオ細工、一本脚のライオン、スフィンクス、壺、グロテスクな人物像が花模様と解けあい、中央にドレープのある布を纏った女性像が描かれているのも特徴です。ゆったりとした着衣のドレープや髪の毛の表現は古代を参照していますが、繊細な輪郭や表情には18世紀の趣味が反映されています。
家具はジャン=アンリ・リズネとジョルジュ・ジャコブに注文しました。ライティングデスクとテーブルはリズネの、椅子と屏風はジャコブの作品です。二人ともマリー=アントワネットからの注文に慣れており、室内装飾ほど最新式ではありませんが、王妃の好みによくあった家具をつくり上げました。菱形の螺鈿に覆われたライティングデスクとテーブルは最近修復が済んだばかりです。
▲修復を終えたばかりのテーブル。
© Photo RMN- Gérard Blot
 
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王妃がこよなく愛した休息の場 ヴェルサイユ宮殿のプティ・トリアノン
▲マリー=アントワネットが家族と憩いの時間を過ごしたプティ・トリアノン。
©EPV/Christian Milet
プティ・トリアノンはもともと、ルイ15世が愛妾ポンパドール夫人のために建築させたものでした。1774年にルイ15世が亡くなると、即位したルイ16世は、マリー=アントワネットにこの館を贈ります。
ヴェルサイユの習慣や伝統に息がつまりそうになっていたマリー=アントワネットは、宮廷から逃れて、ここで親しい者たちと心安らぐひとときを過ごすようになります。王妃は、プティ・トリアノンを中心に独自の世界を作り上げていきました。当時、ジャン=ジャック・ルソーの説いた「自然への回帰」が時代のムードとして支持されていました。マリー=アントワネットもそうした時代の影響を受け、自分の空間に田園風の味付けをしようとしたのです。
館を贈られるとすぐに、ルイ15世時代につくられたフランス式の幾何学庭園の一部に、イギリス式の庭園をつくりました。岩山や丘、曲がりくねった小道、さらさらと流れる小川。岩を集めてつくった小さな洞窟には、滝が音を立てて流れ落ちます。自然の風景を再現するかのようなイギリス式庭園は、当時流行した様式でした。1777年からは、池を見下ろす小高い丘に「ベルヴェデール」と呼ばれる八角形の新古典様式の建物や、コリント様式の円柱が並ぶ円形の東屋「愛の神殿」の建設がはじまりました。
▲プティ・トリアノンの庭園に造られた野趣あふれる洞窟。
©EPV/Christian Milet
▲のどかな田舎の景色を彷彿とさせる「王妃の村里(アモー)」。
©EPV/Christian Milet
イギリス式庭園が完成するやいなや、マリー=アントワネットは次の計画を思いつきます。プティ・トリアノンから少し離れた湖のそばに、ノルマンディー風の田舎家の集落「王妃の村里(アモー)」をつくらせたのです。これは、よく誤解されるように単なる飾りの村ではありません。酪農場、水車小屋、農場、納屋などを擁する村里は、農民によって運営され、実際にヴェルサイユの食堂に食物を供給していたのです。王妃はここで子供たちと田舎風の生活を楽しみました。
小劇場は、マリー=アントワネットの知られざる一面を明らかにしてくれます。マリー=アントワネットはオーストリアにいたときからフランス演劇を学んでいました。王妃の母マリア=テレジアは、娘をフランス王家に嫁がせることを考え、フランス語を勉強させ、俳優を教師として付けていたのです。そのためか、王妃は演劇を非常に愛していました。グラン・トリアノンやオランジュリー内にある彼女のために用意された仮設劇場では満足できず、ほかの劇場で用いた舞台装置をそのまま持ち込める劇場を欲していました。
▲王妃が演劇を楽しんだ小劇場。
©EPV/Christian Milet
イギリス式庭園にひっそりとたたずむプライヴェートな劇場では、王妃が貴族たちと舞台に立ち、王や、王妃の親しい者だけが観客として招待されました。劇場の技師たちはこれに驚き、「貴族様の一座」と名付けていたそうです。
 
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文:阿部明日香(Asuka ABE)
著者プロフィール:
東京大学およびパリ第一(パンテオン・ソルボンヌ)大学博士課程。
専門はフランス近代美術、特にその「受容」について研究中。
コンピエーニュ城
アクセス
 
パリ、北駅からSNCF(フランス国有鉄道)、コンピエーニュ(Compiègne)駅下車
開館時間
 
10:00-18:00(11月1日-2月28日の期間グラン・アパルトマンは-15:45)
第二帝政美術館/ 10:00-12:30、
13:30-17:15
休館日
 
火曜日、祝日
入館料
 
一般:5ユーロ、学生:3.50ユーロ
企画展示時は追加料金1.20ユーロ
展覧会情報
 
コンピエーニュ城美術館
「ルイ16世とマリー=アントワネット」展
2006年10月25日-2007年1月29日
革命期に散逸してしまった家具、肖像画、織物など70点を、フォンテーヌブロー宮のコレクションのみならず、ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿、国有備品からのコレクションより集めて展示する初めての試みです。
フォンテーヌブロー宮殿
アクセス
 
パリ、リヨン駅からSNCF(フランス国有鉄道)、フォンテーヌブロー・アヴォン(Fonteinebleau Avon)駅下車
開館時間
 
10月1日-5月31日/9:30-17:00
6月1日-9月30日/9:30-18:00
休館日
 
火曜日、祝日
入館料
 
18歳以上:5.5ユーロ、18歳未満:無料、毎月第一日曜無料
展覧会情報
 
フォンテーヌブロー宮殿美術館
「マリー=アントワネットのブドワール」展
2006年11月7日-2007年2月5日
マリー=アントワネットの好みを代表する二つの家具、螺鈿のライティングデスクとテーブルの修復が終わったこの機会に、マリー=アントワネットのブドワール1に光をあてます。繊細な家具の細部までじっくりご覧いただくため、会期中は特別にブドワールの外に家具を展示しています。
ヴェルサイユ宮殿
URL
 
http://www.
chateauversailles.fr/jp/
アクセス
 
パリ、サン・ミッシェル駅、またはアンヴァリッド駅などからRER(高速郊外鉄道)C5号線、ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles Rive Gauche)駅下車
パリ、サンラザール駅からSNCF(フランス国有鉄道)、ヴェルサイユ・リヴ・ドロワット(Versailles Rive Droite)駅下車
パリ、モンパルナス駅からSNCF(フランス国有鉄道)、ヴェルサイユ・シャンティエ(Versailles Chantiers)駅下車
休館日
 
月曜日、祝日、公式行事開催日
開館時間・入館料
 
時期、訪問先により異なりますので、詳しくはインフォメーションセンターまでお訊ねください。
情報は予告なく変更となる場合がございます。詳細はMMFにご来館の上おたずねください。
 
MMFで出会える マリー=アントワネット
MMFブティックでは、マリー=アントワネットに関連するミュージアム・グッズをご購入いただけます。

 

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。