「ジャック=ルイ・ダヴィッド」展 コミッショナー ジャックマール=アンドレ美術館学芸員 サント・ファール・ガルノ氏
MMF:ダヴィッドは日本ではそれほど知られていませんが、フランス美術史のなかで、どのような位置を占めているか説明していただけますか?

サント・ファール・ガルノ氏(以下SFG):18世紀を代表する画家に、ワトー、ブーシェ、フラゴナールがいます。これらの画家の特徴は、装飾的感覚、絵画そのもののために絵画を描くということです。絵画とは美しいもので、美しいことがこの時代の絵画全体に通底する唯一の存在意義です。
そして、18世紀末に、考古学上の発見に始まる一連の出来事が起こります。イタリアで、ポンペイとエルコラーノの遺跡が発見され、ドイツの哲学者ヴィンケルマンが、イコノグラフィー(図像学)の復帰、つまり、語られる主題の重要性を見直すことを主張しました。同時期に、感傷的な主題ではなく道徳的な主題を扱うべきだという傾向が生まれます。こうした考え方が18世紀末に生じ、それを実際に表現してくれる人を待っていました。そしてお分かりのように、ダヴィッドがその役を果たしたのです。

「ベリサリウス」
© Photo:RMN / Daniel Arnaudet / distributed by DNPAC
ダヴィッドはとてもおもしろい画家です。なぜなら、このブーシェの時代に生まれ、始めは装飾的で感傷的な絵を描いていたのですから。それが少しずつ画風を変え、主題を変え、「歴史画」と呼ばれる巨大な絵画を制作するにいたりました。ダヴィッドが最初に描いた歴史画は《ベリサリウス》、そして《ホラティウス兄弟の誓い》です。 ブーシェやフラゴナールの時代の絵画をオペラに例えるなら、ダヴィッドの作品は悲劇といえるでしょう。いずれも演劇ですが、ジャンルが違います。ダヴィッドは実際、一番感銘を受けたのはコルネイユの演劇だと言っています。そしてコルネイユの演劇には、観客の気持ちを揺さぶるには、矛盾した感情を対立させなければならないという考えが表れています。
矛盾した感情とは何かというと、例えば、息子が戦争に行くのを見守る母親の感情と、息子に戦争へ行けと言う父親の感情です。父親は、国を守るという公共の利益を訴え、母親は自分の血統を守るという家族の利益を訴えています。ダヴィッドの描くドラマは、この二つの面を組み合わせることで生まれます。以降、彼の描く絵画はすべて、この方法で読むことができます。それは1789年までにダヴィッドが制作した古代を主題にした作品だけでなく、革命期、同時代に主題をとった際にも同様のことがいえます。そして帝政期にナポレオンを主題にした作品でも同様です。ダヴィッドの作品を前にすると、鑑賞者はいつも、この二つの対立した感情にとらわれることになります。
ジャックマール=アンドレ美術館 ダヴィッド展
会期
2005年10月4日(火)〜
2006年1月31日(火)
URL
http://www.musee-jacquemart-andre.com/
所在地
158, boulevard Haussmann 75008 Paris
開館日時
年中無休 10:00−18:00
入館料
一般(オーディオガイド付*):8.5ユーロ
学生、7-17歳6.5ユーロ
家族(大人2名、こども2名)26.5ユーロ
こども(7歳以下):無料

*日本語オーディオガイドがあります。
展覧会ページ
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MMF:ダヴィッドは、同時代を主題にした初めの画家ですか?

SFG:そうですね、同時代を主題にしたのはダヴィッドだけではありませんけれど。しかし、ダヴィッドが同時代をテーマにするとき特徴的なのは、テーマを普遍的なレベルにまで押し上げるようにするということです。ダヴィッドは、作品が持つ教訓を持続させるには、些末な出来事のなかから取り出さねばならないことを知っていました。そして、同時代の主題を扱うときでも、常に普遍的な価値をそこに与えようとしたのです。《ホラティウス兄弟の誓い》をご覧になってください。これは古代ローマの主題で、ダヴィッドが革命以前に制作したものです。その10年後、ダヴィッドは《テニスコートの誓い》という同じような作品を描いています。この作品は、国民議会の議員が宣誓する場面を描いたものですが、ある意味では《ホラティウス兄弟の誓い》の着想を繰り返したものといえます。ダヴィッドにとっては、古代も同時代も根本的な違いはないのです。重要なのは、忠誠を誓うこと、人は自分の思想や約束に忠実であらねばならないというテーマなのです。
デッサン「ホラティウス兄弟の誓い」
© Photo: LILLE / distributed by RMN / distributed by DNPAC
MMF:ダヴィッドがローマ留学時代に残したデッサンの数に驚きました。今日では、芸術家といえば、あるとき突然インスピレーションが湧くといったロマン主義的な芸術家像を抱きがちですね。

SFG:ダヴィッドは、純粋な天才というものや、ロマン主義時代の芸術家のようなインスピレーションを受けて制作する芸術家の対極にあります。ダヴィッドはコツコツ努力するタイプの画家なのです。ローマ留学時代に何千枚ものデッサンをしましたが、78才で亡くなるまで、生涯に一体何点の絵画を仕上げたかご存じですか。130点、たったの130点なのです!つまり、言い方を変えれば、それぞれの作品につき、何百枚もの下絵を描いたということで、残された下絵は、完璧に仕上がった作品をつくるために執拗なまで仕事に取り組んだ証拠なのです。どんな細部さえも適当にごまかしたりせず、徹底的に下絵を描いて研究する、これがダヴィッドの真の姿です。
MMF:ダヴィッドはフランス革命を題材にした作品を描きましたが、そのために、フランス人にとって特別な画家となっていますか。フランスは現在でも(革命によって打ち立てられた)共和制なわけですけれども。

SFG:そうは思いません。15年前、フランスでは、革命200周年記念を祝う祝典が開かれましたが、それがどのようなものだったかご存じですか。有名な演出家の演出で、仮装行列がシャンゼリゼを行進するという見た目ばかり派手なお祭り騒ぎだったのですよ。革命100周年のときの政治的論争を再考しようという人はいませんでした。100周年の際、共和派や急進派は、革命全体を受け入れねばならないと言いました。つまり、反対する人を殺害した独裁者ロベスピエールの時代も革命の一部として受け入れるということです。それに対し、フランス革命は犠牲になった人々の血の上に成り立ったもので、そのような恐怖政治を一つの政治体制として受け入れるわけにはいかないという人もいました。そういったまじめな論争が200周年記念の際にはなかったのです。そういう意味では、ダヴィッドは無視されたとも言えます。なぜなら、革命の負の面を象徴するダヴィッドを俎上に乗せることができなかったわけですから。ダヴィッドは画家ですが、政治家でもあり、ロベスピエールの近いところにいました。国民公会の議長でもありましたし、革命期に非常に重要な役割を果たしていたのです。この時期を政治的な視点から見直さないのは非常に残念だと思います。私は学芸員なので、作品をお見せするのが仕事ですし、作品に対する新しい解釈もお伝えしたいと思うのです。
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」
© Photo: RMN / Gérard Blot / distributed by DNPAC
MMF:日本の観客にメッセージをお願いします。

SFG:もちろん、日本の皆様には、ぜひジャックマール=アンドレ美術館に来ていただきたいです。美術館には各国語のオーディオガイドがありますが、もちろん日本語も忘れてはいません。ですから、日本の方が大勢いらしても、全館解説付きでご見学いただけます。日本やアジアの皆様がジャックマール=アンドレ美術館にきてくださることを心から望んでいます。
2005年10月20日 ジャックマール=アンドレ美術館にて インタビュー/阿部明日香

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