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オランジュリー美術館学芸員 フィリップ・ソニエ氏へのインタビュー
  2006年5月17日、6年間にも及ぶ改修工事を経て、オランジュリー美術館が待望の再オープンを迎えました。2004年にオランジュリー美術館学芸員に就任するまでは、教会や城館などの保存官を勤めていたというソニエ氏。彼は館長のジョルジェル氏を深く尊敬し、ともに仕事をしたいとオランジュリー美術館への異動を強く希望したそうです。「未来へ開かれた新しい美術館を造るのは、とてもすばらしい経験だった」と改装について話してくださいました。
 
© Photo Jean-Christophe Ballot/ EMOC.
Musée de l'Orangerie
▲オランジュリー美術館学芸員、フィリップ・ソニエ氏
©Hiroshi Takahashi
MMF:改装の第一の目的は、1927年の開館当時の状態を取り戻すことだったと聞いていますが、どのような方針を立てられましたか。
フィリップ・ソニエ氏(以下PS):オランジュリー美術館にある作品は、単なる絵画ではなく、モネ(Claude Monet)が考え、望み、建築家の助けを借りて自ら図面を引いたひとつのプロジェクト、インスタレーションです。ですから、私たちが行ったのは、1960年代に壊されてしまったものを1927年の状態に戻すことだったのです。多少現代風にはしましたけれどね。
例えば、入り口のホールは、1927年当時の写真と比べてずっとシンプルでモダンになっています。しかし、それでも全体としては1927年当時の状態を取り戻したにすぎません。「元の状態に戻す」というと大したことをしていないように聞こえますが、それこそがモネを正しく評価することなのです。当時の状態がモネの作品で、モネが望んだことなのですから。
 
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MMF:今回の改装計画で一番重要視したことは何ですか?
PS:光です。光が何よりも一番重要な要素です。モネが《睡蓮》を制作していたときに取り組んでいたのは光の表現ですし、光を美術館に取り戻さねばなりませんでした。その点にすべての努力が集約されています。建物を二つに分けていたコンクリートの覆いを取り除き、代わりに光を和らげるシェードを作りました。モネが考えていたとおりにしたのです。
▲「睡蓮の間」。
©Photo Jean-Christophe Ballot/ EMOC.
Musée de l'Orangerie
 
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▲ガラスの屋根からは自然光が差し込む。
©Didier Plowy MCC.
MMF:「睡蓮の間」に取り込んだ「光」について、もう少し説明していただけますか。
PS:自然光はもともと変化するもので、特定の理想的な光というものはありません。朝の光は夕方の光とは違いますし、晴れの日と曇りの日も違います。つまり、ガラスの屋根を通してこのような天候の変化を感じ取れるようにしたのです。ただ、夕方暗くなりすぎたときには、人工照明を用います。
冬の夕方5時に、お客さんが暗闇のなかで作品を見るなんて考えられませんから。逆に、作品保存の観点から超えてはならない照度もありますので、天気の良い日はガラスの屋根から入る光を少なくするようなシステムもあります。
 
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MMF:今回の再オープン同様、モネの時代にも美術館開館まで時間がかかりましたね。開館が遅れたのは同じ理由からですか。
PS:そうではありません。ご存じのように、今回の遅れは、工事中に遺跡が見つかり保存することに決めたことが大きな理由です。モネが国家に作品を寄贈することを申し出たのが1918年で、オランジュリーの開館が1927年ですから、当時は開館まで10年かかったことになります。
▲発掘されたシャルル9世時代の城壁の遺跡。
©Photo Jean-Christophe Ballot/ EMOC.
Musée de l'Orangerie
これはモネが何度も描き直し、決して満足しなかったためなのです。クレマンソー(Georges-Benjamine Clemenceau)が「傑作を超えた傑作を造ろうとしているのか」と当時言ったほどでした。
 
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MMF:1927年にオランジュリーが開館したときは全く人気がなかったようですが、1950年代に突然《睡蓮》の人気が上昇しますね。この関心の変化について説明していただけますか。
PS:1927年には、多くのパリ人にとって《睡蓮》の装飾画は「遅まきの印象派の記録」といったものでした。少し時代遅れだったのです。観客の関心はもっと若い画家たちの方へ向かっていました。それが30年後、人々は《睡蓮》に全く違うものを見出します。この作品がとても現代的であると気づき、作品に違う理解をするようになるのです。《睡蓮》に対する評価の急激な変化について説明するのは難しいのですが、確かなことは、現代の私たちの眼はいろいろなもの、モダンアートや抽象芸術、表現主義を見て経験を積んでいるということです。ですから、私たちの方が1927年当時の人々より《睡蓮》の装飾画を理解しやすいのです。いずれにせよ、今後は《睡蓮》の評価が高まることはあれ、その逆はないと思います。
 
MMF:1960年代にジャン・ヴァルテール(Jean Walter)とポール・ギヨーム(Paul Guillaume)のコレクションを受け入れるために行った改修工事は、モネが構想した空間を変えてしまいましたが、当時反対する人はいなかったのですか。
PS:コレクションを収蔵するのに2階を設置したことが物議を醸したかということですか。はっきりとは分かりませんが、そんなことはなかったと思います。実際、どこかに収蔵場所を見つけなければならなかったですし、国がオランジュリーに展示する決定をしたわけですよね。2階を造る以外の方法を見つけるのは難しかったのです。当時はできるかぎり自然光に近い人工照明をつけたのですが、40年経ってみると限界があることが分かりますね。
 
▲改装作業中の様子(2005年2月撮影)。
©Photo Jean-Christophe Ballot/ EMOC.
Musée de l'Orangerie
MMF:技術が進歩して、今回のような改装が可能となったのですか。
PS:はい、そう思います。例えば、ガラス屋根は二重にして、UVカットのフィルターを取りつけ、紫外線が入りすぎたり建物の温度が上がりすぎたりしないようにしました。また、チュイルリー公園を掘り下げて地下に展示室を造りました。地下を設けるだけでしたら、技術的には1960年代にもできたでしょうが、展示空間を確保するのに地下を使うというのは、当時は考えられなかったでしょうね。
ですから、私が特に変わったと思うのは人々の考え方です。オランジュリー美術館には《睡蓮》を見に来る人が多いので、どんなに工事が複雑だろうと《睡蓮》とヴァルテール=ギヨーム・コレクションを分ける必要があったのです。
 
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MMF:二つの異なる作品、《睡蓮》とヴァルテール=ギヨーム・コレクションをどのように関連づけていますか?
PS:確かに二つの間に直接的な関係はありません。二つの異なるものが同居している状態です。しかしながら、館長のピエール・ジョルジェル(Pierre Georgel)は、二つの間にドランの大きな絵を置き、この作品を両者の蝶番にしようと考えました。これはポンピドー・センターから寄託された、とても大きな作品です。大きさの点で《睡蓮》とつながり、ドランの作品という点で、ドランを含むヴァルテール=ギヨーム・コレクションとつながるというわけです。
「睡蓮の間」からヴァルテール=ギヨーム・コレクションへ。
©Hiroshi Takahashi
ヴァルテール=ギヨーム・コレクションの展示室。
©Photo Jean-Christophe Ballot/ EMOC.
Musée de l'Orangerie
 
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「睡蓮の間」。
©Didier Plowy MCC.
MMF:《睡蓮》は、現代美術の「インスタレーション」を先取りしているとも言えますね。
PS:当時フランスでは、公共建築を巨大な壁画で装飾していました。モネはおそらくピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(Puvis de Chavannes)のような壁画の伝統を引き継ごうとしたのでしょう。自らの絵画を、もっと永続する、もっと一般の人々にアクセスしやすいものにしたかったのです。モネのアイデアは、これまでフランスになかった非常にモダンなものでした。
作品は、パノラマのように鑑賞者を取り巻き、鑑賞者自身が自分の見ている絵画の一部となるように、絵画のなかに沈み込むように構想されました。これは確かに現代のアーティストが発展させた仕掛けです。モネは時代を先取りしていたといえます。《睡蓮》は、印象主義の到達点というだけでなく、印象主義を超越しています。絵画のなかに身を浸すような新しい作品です。モネ自身も描きながら絵画のなかにどっぷりつかっていました。巨大なキャンバスに、自分の身振りの痕跡を残すように描いていたのですから。
 
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MMF:モネ自身が構想した入り口のホールは、「睡蓮の間」に行く前に心の準備を整える場所のように思えます。この空間について説明していただけますか。
PS:1880年から1890年かけて、宗教が衰退し、宗教的感情というものがなくなっていき、美術がそれを引き継ぐという考えが広がるのですが、私はこのことにとても関心を持っています。芸術体験が宗教に代わって人と人の結びつきを生む、芸術が宗教の代替物となるという考え方です。
「睡蓮の間」。
©Didier Plowy MCC.
この入り口ホールは、来た人が自分を脱ぎ捨て鑑賞の準備をする神殿の入り口のような役割を果たしています。《睡蓮》を鑑賞することは、ほとんど神秘的宗教的といってもいいような瞑想の経験をすることですから。
 
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▲「睡蓮の間」のフィリップ・ソニエ氏。
©Hiroshi Takahashi
MMF:「宗教的」「瞑想的」という言葉を使ってしまっていいのですか?
PS:ええ。当時、多くの人々が美術館を訪れるようになり、逆に教会には行かなくなったというのは誰の目にも明らかです。モネも直感的に芸術が宗教の代わりになると感じ取っていたのでしょう。モネが宗教的感情を持っていたということではなく、芸術の啓蒙的価値について深いヴィジョンを持っていたのだと思います。
いずれにせよ、芸術体験というのはすべての人が共有できるものなので、皆に開かれた公共空間にある《睡蓮》は、多くの人々に共通の体験を授けてくれるとモネは考えていたのでしょう。
 
MMF:日本の観客にメッセージをお願いします。
PS: メッセージを伝えるのは、私ではなく作品です。作品自身が語ってくれます。ですから、ぜひ美術館にきて作品を見てください。そして、《睡蓮》の世界に浸ってみてください。きっと気持ちが休まると思います。目まぐるしい現代生活のなかで、ホッとするひとときが得られると思います。
 
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  2006年5月23日 オランジュリー美術館にて
インタビュー:高橋博 協力:阿部明日香
 
 
© Didier Plowy MCC.
PARIS MUSEUM PASS 利用可能施設
オランジュリー美術館
所在地
  Jardin des Tuileries 75001 Paris
アクセス
  地下鉄コンコルド(Concorde)駅下車
開館時間
  9:00-18:00
休館日
  火曜日、5月1日、12月25日
MMFで出会えるオランジュリー
B1Fインフォメーション・センターでは、モネの「睡蓮の間」にクローズ・アップしたカタログ(日本語・フランス語)をはじめ、「ジャン・ヴァルテールとポール・ギヨーム・コレクション」の図録などを閲覧いただけます。
ブティックでは、『睡蓮』関連商品をご用意しております。
MMFサイト5月号の特集でも再オープン直前の同館大改装についてお伝えしています。
詳しくはこちら>>
大連作『睡蓮』をはじめとするモネの傑作群を生んだジヴェルニーのモネの庭は、今月の美術館・博物館BackNumberにて。
詳しくはこちら>>

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。