Dossier special - 海外の特集

  • 1.ゴッホの遺産
  • 2.農民画家時代
  • 3.狂気の晩年

アムステルダムにファン・ゴッホの殿堂を訪ねる ゴッホ美術館 Van Gogh Museum

農民画家時代

ファン・ゴッホの仕事術

 今回の訪問時には、残念ながら改修工事の影響で新館は休館中(2015年に再開予定)で、本館だけの展示でした。それでも、ゴッホの傑作の数々を十分に堪能できました。訪問時には「Van Gogh aan het Werk(ファン・ゴッホの仕事)」と題した企画展が催され、ゴッホの制作がいくつかの切り口やテーマによって紹介されていました。「画材と道具」「戸外制作」「色」「塗り方」「自身のスタイル」「ほかの画家からのテーマ借用」などです。ゴッホの短くともドラマチックな画業を名作とともに振り返ってみましょう。

実は、ちょっと急いでこれを書いている。仕事で忙しいからね。早朝か晩に、とてもよく仕事がはかどるんだ。そして、ときどきすべてが言い表せないくらい美しく見える──テオへの手紙  ニューネン 1884年7月20日

絵画の勉強

 1880年にベルギーの炭坑の村ボリナージュで画家になることを志したとき、ゴッホはすでに27歳。画家としては遅いスタートでした。通常、画家になるには美術アカデミーでモデルや石膏モデルをデッサンしながら勉強するものですが、ブリュッセル、デン・ハーグ、アントワープなどでの教育はゴッホにあまり馴染まなかったようで、いずれも短期間でやめています。

 しかし、ゴッホが生まれつきの天才画家で努力をしなかったというのは真実からほど遠いようです。彼はシャルル・バルグの197ページからなる『デッサン教本』を手本に、全ページを数回にわたって模写しています。生涯にわたって、ゴッホは自身が尊敬する画家の作品を模写したり、自分なりの解釈で描き直したりという作業を繰り返しています。バルグの教本は、十年後に彼が亡くなる年にも模写研究していたといいますから相当な執念を感じます。それから、まだ暗い絵ばかりを描いていた時期に、ゴッホは美術評論家シャルル・ブランの書いた『デッサン芸術の文法』を読み、色彩の補色の理論に触れています。

 初期のゴッホの師匠としては、従姉妹の夫であったアントン・モーヴの影響が見逃せません。3週間ほどモーヴのアトリエで油彩と水彩のレッスンを受けたり、パリに移住した直後3カ月間、フェルナン・コルモンの画塾で学んでもいます。しかし、ゴッホは誰か特定の師匠から多くを学んだというよりは、不器用ながらも努力して知識と技術を積み重ねていったといえるでしょう。

暗い絵のゴッホ

▲手紙に描かれた農民のスケッチ
©Van Gogh Museum, Amsterdam

 特に興味深いのが、ゴッホが私たちの知っている《ひまわり》のような明るい絵を描く前の時代です。黒、灰色、茶色に支配された画面は暗く陰鬱な雰囲気で、登場するモデルも貧しい農民ばかりです。初期の暗い絵が好きという方はあまりいないかもしれませんが、ゴッホを深く理解する上では貴重な作品群です。テオに宛てた手紙のなかにも、畑で働く農夫たち、家事にいそしむ女性たちの姿が丁寧に愛情をもってスケッチされています。

 ジャン=フランソワ・ミレーを尊敬していたゴッホは、バルビゾン派の画家のように、暗い画面のなかに働く農民を描くことから始めたのです。《馬鈴薯を食べる人々》(1885年)は、それまで練習してきた光と陰の効果を最大限に使って描いた1885年時点での集大成です。この出来には満足したゴッホですが、さらに可能性を求めて芸術の都パリへ旅立つことになります。

▲《馬鈴薯を食べる人々》の簡単なスケッチも書簡に登場する
©Van Gogh Museum, Amsterdam
▲《馬鈴薯を食べる人々》
©Van Gogh Museum, Amsterdam

パリ時代のゴッホ

▲《画家の自画像》(1887-88年)
©Van Gogh Museum, Amsterdam

 1886年2月、突然前触れもなくテオの家に現れた兄フィンセントは、その後2年間パリで暮らします。ずいぶん面倒をかける兄ですが、19世紀末のフランスで最先端の絵画と画家たちと直接ふれあうことで、ゴッホの飛躍が始まるのです。当時、モネ、ドガ、ルノワールといった印象派の画家たちはすでに成功を収めて大家になっており、新しい芸術の潮流はスーラ、シニャック、ピサロなどの新印象派(neo-impressionism)が生み出していました。当然、ゴッホも新しい芸術を目にして触発されます。補色の関係にある原色の鮮やかな絵の具を、点描によってキャンヴァスに配置し、見る人の目のなかでブレンドさせるという新印象派の手法をゴッホも自分の作品に取り入れました。

 ところが、点描という作業は時間がかかりすぎるため、一気呵成に、実際の風景やモデルを見ながら描くゴッホの制作スタイルとは相容れないことが分かりました。それでも、思いつくまま本能的に鮮やかな色をキャンヴァスに塗り重ねていくゴッホならではの手法を発展させるキッカケになったことは事実です。パリ時代のゴッホの自画像を見ると、パレットに明るい原色の色が置かれているのが見えます。

日本の色彩とアルルの太陽

▲《雨の橋》(1887年)
©Van Gogh Museum, Amsterdam

 19世紀の印象派の誕生自体にジャポニスム、つまり浮世絵など日本の絵画が与えた影響は絶大でした。ゴッホも浮世絵に強い関心を持ち、日本への憧れを募らせます。ゴッホと弟テオは450枚以上買い集めていました。ゴッホ美術館はゴッホ兄弟の浮世絵コレクションのほぼすべてを所蔵しています。

 浮世絵が西洋の画家を惹きつけた理由は、対角線の強調、平板で鮮やかな色、独特な画面の切り取り方にありました。ゴッホは浮世絵を油絵で再現する試みを何度も行っています。《雨の橋》は歌川広重の《大はしあたけの夕立》を模写したものです。パリのロダン美術館が所蔵する《タンギー爺さん》の背景にも広重や渓斎英泉の浮世絵が描き込まれています。

▲ロダン美術館所蔵《タンギー爺さん》(1887年)
©Musée Rodin, Paris

 日本人の来館者は、ゴッホが日本の浮世絵にここまで熱中したことに驚き、そして誇りに思うことでしょう。

 パリの画家たちの影響もあり、ゴッホの絵は明るい色彩に溢れたものに生まれ変わります。しかし、浮世絵に魅せられたゴッホは、もっと明るい光を欲していました。2年間のパリという都会での慌ただしい生活に疲れていたこともあり、明るい太陽光の溢れる南仏アルルへの転地を決意します。

 そこでポール・ゴーギャンや友人の画家エミール・ベルナールを呼び寄せ、芸術家の共同アトリエを作るのがゴッホの夢でした。《黄色い家》は、アルルでゴッホが借りた家で、数々の傑作がここで生み出されます。

▲《黄色い家》(1888年)
©Van Gogh Museum, Amsterdam
▲《ファン・ゴッホの寝室》(1888年)
©Van Gogh Museum, Amsterdam
▲《ゴーギャンの肘掛け椅子》(1888年)
©Van Gogh Museum, Amsterdam

アルルは世界中でも日本と同じくらい美しいところだよ。空気は澄んでいるし、陽気な色の効果が素晴らしい。広がる水面は美しいエメラルド色を貼付けたみたいだし、風景は豊かな青色が見えて日本の浮世絵のようだよ。──エミール・ベルナールへの手紙

次ページでは、ゴッホの
狂気の晩年について紹介します。>>

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文・写真 : 安田晴彦(Haruhiko Yasuda) アムステルダム在住
Update : 2014.3.1
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ゴッホ美術館 Van Gogh Museum

所在地
Paulus Potterstraat 7, 1071 CX Amsterdam, The Netherlands
Tel
+31 (0)20 570 5200
E-Mail
info@vangoghmuseum.nl
URL
http://www.vangoghmuseum.nl
開館時間
冬期 9:00〜17:00
夏期 9:00〜18:00
金曜日 9:00〜22:00
休館日
展示替えなどに伴い不定期
入館料
15ユーロ
アクセス
アムステルダム中央駅から2番もしくは5番のトラムでVan Baerlestraat停留所下車すぐ
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