“印象派の殿堂”オルセー美術館から、84点の名画が東京・六本木の国立新美術館にやってきました。「印象派の誕生」と銘打った今回のオルセー展の特徴は、印象派が生まれた時代をパノラマで見せる展覧会であること。モネやルノワールら印象派の画家の作品と、アカデミスムを代表する画家たちの傑作が一堂に会することで、当時の美術界を俯瞰できる内容になっています。
今回のオルセー展は、「マネに始まり、マネに終わる」展覧会といわれています。最初の部屋で来館者を出迎えるのはマネ初期の代表作《笛を吹く少年》。最後の部屋では晩年の秀作《ロシュフォールの逃亡》が会場を後にする人々を見守る構成となっているためです。
《笛を吹く少年》がサロン(官展)に出品された1866年、マネはモネと出会いました。次々と革新的な絵画を発表するマネはモネをはじめとする印象派の画家たちを熱狂させ、大きな影響を与えました。そのことから、西洋美術史において「印象派の父」と位置づけられるマネですが、じつは印象派展には一度も参加していません。マネはサロンという“公の場”にこだわることで、当時の保守的な画壇に揺さぶりをかけた、近代絵画の革新者だったのです。
マネが対抗したのは、「アカデミスム」と総称される保守的な絵画の流れでした。印象派が生まれたのは、アカデミスムがフランス画壇の主流であった時代。今回の展覧会では、アカデミスム絵画の傑作群が重要な見どころとなっています。
今では印象派といえば、西洋絵画の近代を拓いたムーヴメントとして、絶大な人気を誇ることからか、印象派は「よき絵画」で、アカデミスムは「悪しき絵画」と捉えられがちです。しかし、今回の展覧会を見てみれば、それは間違った先入観であることがよく分かります。むごたらしい場面を迫真の描写で描いた《エルサレム》や、エロティシズム溢れるカバネルの《ヴィーナスの誕生》といった作品は、芸術家の創意が生んだ傑作。神話や歴史に主題を求めたアカデミスムの画家たちも、それぞれの方法で絵画の革新を模索していたのです。
印象派誕生前夜、アカデミスムに対峙したもうひとつの潮流が「レアリスム」です。1848年の二月革命によって共和派が実権を握ると、理想化された歴史や神話ではなく、社会の実情をありのままに描こうという画家たちが現れました。
1855年のパリ万博での「レアリスム宣言」で知られるクールベや、バルビゾンを舞台に農民画を描き続けたミレーなどが、その代表です。彼らは、1850年から70年にかけての帝政下の保守的な社会においても、大きな批判を受けながら自らの絵画を追求し続けました。
今回の展覧会は、クールベやミレーの作品のほか、ブルトンの《落穂拾いの女たちの招集》やバスティアン=ルパージュの《干し草》といった、同じ農民画を描きながらもサロンの好評を得た作品も出品されており、見比べると面白い構成になっています。
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