Dossier special - 海外の特集

  • 1.スイスを代表する20世紀の画家パウル・クレー
  • 2.ランドスケープと一体化した施設
  • 3.複合施設ならではの魅力

パウル・クレー・センター

パウル・クレー・センターの概要

▲パウル・クレー・センター外観。
遠くにアルプスを望む
©ZPK

 スイスの首都であり、旧市街がユネスコ世界遺産にも登録されているベルン、その郊外の丘陸シューヌグリューンというエリアに2005年、新しいシンボルが加わりました。パウル・クレー・センターです。
 この施設はパウル・クレー(1879-1940)の家族とモーリス・E・ミュラー教授夫婦の寄付によって設立されました。世界中にあるクレーの作品の大半がここに集っています。作品所蔵数は約4,000点で世界一の所蔵数を誇り、彼の作品のうち4割以上がここに所蔵されています。

パウル・クレーの生涯

▲パウル・クレー・センターの展示
©ZPK

 パウル・クレーは1879年スイス、ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーで生まれました。音楽家のドイツ人の父とスイス人の母を持つ彼は幼い頃から芸術に興味を持ち、ミュンヘンの芸術学校に入学します。クラスメートには、後に有名になる画家ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)もいました。クレーは父の影響もあり、アートと同時に音楽や詩にも興味を持つなどマルチに幅広く創作しました。

▲クレーによるドローイングや水彩画などが並ぶ

 1906年にドイツ、ミュンヘンで活動し始めた頃には、カンディンスキーら表現主義画家の芸術家サークル「青騎士」との交流を深めます。その後第一次世界大戦が始まり、ベルンに戻ったクレーは独自のスタイルを見つけ画家として成功していきます。1921年にはドイツのワイマール、そして後にデッサウのバウハウスで美術の指導にあたりました。1931年にはデュッセルドルフの芸術大学の教授になります。しかし、不幸なことに1933年にナチスに追われベルンへ帰ることを余儀なくされます。さらに1934年にはびまん型強皮症と呼ばれる難病にかかり身体を蝕まれながら作品制作を続けた後、1940年に亡くなりました。
 さまざまな状況に応じて変化するクレーの作風が彼の人生を物語っています。

次ページでは、パウル・クレー・センターの建物の魅力を紹介します。>>

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Update : 2015.6.1 文・写真 : 和田徹(Tohru Wada)
建築家。スイス・バーゼル在住。
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ベルン

パウル・クレー・センター

所在地
Monument im Fruchtland 3 3006 Bern
Tel
+41 31-359-0101
URL
http://www.zpk.org/
E-Mail
info@zpk.org
開館時間
火曜日〜日曜日 10:00〜17:00
月曜日 休館
入館料
一般:20スイスフラン
シニア割引:18スイスフラン
学生:10スイスフラン
子ども(6-16歳):7スイスフラン
日曜日は16歳以下無料
家族チケット
(大人1人+6-16歳の子ども):
27スイスフラン
家族チケット
(大人2人+6-16歳の子ども):
40スイスフラン
そのほかは以下を参照
http://www.zpk.org/en/visitor-informationshop-142.html
アクセス
市バス12番で終着駅ツェントルム・パウル・クレー(Zentrum Paul Klee)駅、またはトラム7番の終着駅オストリング(Ostring)駅、市バス10番の終着駅オステルムンディン(Ostermundigen)駅から徒歩約15分。
※この情報は2015年6月更新時のものです。
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