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ロダン美術館:ムードン、ヴィラ・デ・ブリヤン Musée Rodin : Villa des Brillants à Meudonマダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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親愛なる日本の皆さまへ

フランスを代表する彫刻家オーギュスト・ロダン(1840-1917)。その生前の暮らしをご覧になりたい方は、ロダンが所有していたヴィラ・デ・ブリヤンをお訪ねになってみてください。パリの西、ムードンの町の小高い丘の上にあるこのヴィラは、今なおロダン在りし日のアトリエの雰囲気、そして芸術家の館としての魅力を放つ場所です。

ロダンは、パリへのアクセスの良さから、アトリエを構える地としてムードンを選びました。1901年に電化された鉄道に乗って、ロダンはパリとムードン、ふたつのアトリエを行き来したのです。ロダンはこのヴィラをしばらく借りた後、1895年に購入しています。野原やブドウ畑に囲まれ、セーヌ河を見下ろす素晴らしい眺めを望むことのできるこのヴィラは、仕事場として理想的な環境だったのでしょう。そして購入から4年後、59歳のロダンは、伴侶のローズ・ブーレとともにここに居を定めました。

ローズはもともとお針子で20歳のときにロダンに出会いました。はじめはロダンのモデルを務め、その後、内縁の妻となります。ロダンは彼女との間に息子をひとりもうけますが、認知することはありませんでした。しかし、彼女と53年の歳月をともにした後、ロダンは77歳で誰にも知らせることなくひっそりと、彼女と結婚をしています。肺炎を患っていたローズは、結婚の15日後にこの世を去りますが、一方のロダンもまた重い病に冒されており、わずか数ヵ月の余命しか残されていませんでした。パリの邸宅(現在のロダン美術館)とアトリエ、そしてコレクションをすでに国に寄贈していたロダンは、作品ひとつない空っぽの家で寂しくこの世を去りました。その亡骸は、ムードンのヴィラの庭でローズの傍らに葬られました。蔦の葉に覆われたふたりの墓は美術館のファサードの前にあって、かの有名な彫刻作品《考える人》に見守られています。

ここムードンは、ロダンの作品の大半が制作された場所です。ロダンは50人ほどのアシスタント(職人、鋳造工、石工)に囲まれ、数多の注文に応えるため休みなく働きました。多くの友人たち、そしてイギリス国王をはじめとする著名人らがロダンの作品を鑑賞しにここを訪れました。オーストリアの名高い詩人ライナー・マリア・リルケ(1875-1921)が、ロダンの秘書となりここで数ヵ月暮らしたこともありました。

煉瓦と石とスレートで造られたルイ13世様式の館、そこへと続く一本の美しい並木道──。それは、ロダンが生きた時代そのままの光景です。当時の写真をもとに改装された内部は、質素ではあるものの個性的です。1階には、アトリエと淡い緑色の壁の小さな部屋がふたつ。まずは、シンプルな家具が置かれた小さな部屋へと参りましょう。庭に面した角部屋で、明るく快適なサロンです。その隣が居心地のよいダイニングルーム。食器が並んだテーブルには、古代彫刻を好んだロダンらしく、大理石の胸像が置かれています。奥の壁に掛けられた暗い色の大きな絵画は、ロダンと同時代の画家アレクサンドル・ファルギエール(1831-1900)作の《ヒュラースとニンフ》です。白く塗られた木の椅子や肘掛け椅子が部屋全体に明るい印象を与えています。

ダイニングルームの隣、館からつながるかたちで造られたのが広大なアトリエで、ロダンの石膏像が並びます。ふたつの展示ケースには、アトリエを訪れる客人たちにロダンが披露したという古代美術のコレクションが飾られています。アトリエの奥には、彫刻が施された黒い木製の天蓋が付いた重厚なベッドが置かれていますが、マットレス台とマットレスはなく、壊れやすい作品を置くのに使われていました。大きくて明るいアトリエはヴェランダに面していてロダンと彼をとりまく人々は、夏にはヴェランダで食事をしていたそうです。


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