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ローザ・ボヌール城マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

フランスには、「著名人の家(Maison des Illustres)」という認証制度があることをご存知でしょうか? 歴史にその名を刻んだ著名人ゆかりの品々を管理・保存している施設に与えられるもので、本日、皆さまをご案内する「ローザ・ボヌールの城=アトリエ」もそのひとつです。このシャトーがあるのは、イル=ド=フランス地域のトムリ。13世紀の教会があり、19世紀には白ワイン用のブドウ品種「シャスラ」の栽培地として知られるようになった小村です。

数多ある観光地を差し置いて、この小さな村を訪れるべき理由──それは、月並みな旅はやめて、偉大なる芸術家、動物画家のローザ・ボヌール(1822-1899)の才能を発見することにありましょう。ローザ・ボヌールが、かつて売れっ子の画家、とりわけアメリカとイギリスでもっとも著名な画家のひとりであったとは、今日では想像し難いことかもしれません。残念ながら彼女は、その死後、忘れられた存在となってしまいましたから。けれども、その作品の多くは、著名な美術館にきちんとコレクションされているのですよ。そして、今日、わたくしたちが訪れるローザ・ボヌールの城=アトリエは、ローザの在りし日のままに時が止まっているかのような、類まれな場所。彼女が亡くなって以来、そのままの状態に保たれているのです!

この城=アトリエは、新型コロナウイルス感染拡大防止を理由とした外出禁止令がフランスで出され、解除後、最初に営業再開した美術館のひとつです。2017年よりこの城を所有するカトリーヌ・ブロー氏が出迎えてくださいました。彼女は、ローザ・ボヌールの相続人アンナ・クルンプケからこの城を買い取った後、この著名な動物画家に夢中になり、彼女のこと、そしてその作品の素晴らしさを人々に知らしめたいと熱望するようになりました。そして、修復工事を経て2018年からアトリエを公開し、娘たちとともに解説つきの見学ツアーを行っているのです。見学は予約制ですので、お忘れになりませんように。現行の規則によって、一度に少人数しか入ることができません。フランスには、宝くじの収益を歴史的建造物などの修復費に充てる「文化遺産くじ」という文化財保護政策がありますが、この城=アトリエは、その枠組みで国からの援助を受けたばかり。昨年9月には、マクロン大統領の訪問もあったそうです。

毅然とした現代的な感性の持ち主、そして自然のままに生きたローザ・ボヌールの運命に、わたくしたちは無関心ではいられません。彼女が生前、非常に愛着を抱いていた母親の家系は謎に包まれています。ローザの母親はジャン=バティスト・デュブラン・ド・ラエというボルドー出身の裕福な貴族の養女。実際はこのデュブラン・ド・ラエこそが実の父親だったようですが、ローザ・ボヌールがこの真実を知ることはありませんでした。母親は1821年、彼女のデッサン教師レイモン・ボヌールと結婚し、ローザを筆頭に4人の子に恵まれました。ローザは、生涯にわたって郷愁を抱くことになるアキテーヌ地方で幼年期を過ごし、1829年、家族とともにパリに移り住みます。父親は、デッサンのレッスンをするかたわら、進歩的考えを持つサン=シモン主義の信奉者になります。ここからが、家族の苦難の始まりでした。母親は家族を養うために働き過ぎて、健康を害してしまうのです。母親が亡くなり、共同墓地に葬られた時、ローザは11歳でした。その後、施設を転々とした後、ローザは父親のアトリエでデッサンの勉強を始めると、父も認める才能を発揮し、14歳になる頃には自分の作品で家族を養うようになるのです。

Update : 2020.9.4

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