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ブザンソン美術・考古学博物館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

先日、友人に誘われて、画家アルベール・グレーズ(1881-1953)の妻、ジュリエット・ロッシュ作品展の内覧会へ行って参りました。会場はブザンソン美術・考古学博物館です。と申しますのも、その友人はジュリエット・ロッシュ(1881-1953)の甥なのです。ジュリエット・ロッシュは、モーリス・ドニとポール・セリュジエに学び、20世紀初頭、前衛運動に参加したものの、これまで注目されることのなかった画家。この度の展覧会は、この芸術家を改めて再評価し、一般の方々に紹介するために開催されたものでした。ミュゼでは、ブザンソン中央美術館局局長のニコラ・シュルラピーエル氏とアシスタントのイラン・ミシェル氏がわたくしたちを迎えてくださいました。

フランス東部、ジュラ山塊とドゥーブ川のほとりに位置するブザンソン市は、スイスに程近い町です。「芸術と歴史の町」の称号を与えられ、かの有名なヴォーバン(1633-1707)によって建設された17世紀の城砦と要塞は、ユネスコの世界遺産に登録されています。また、フランスの時計産業発祥の地としての歴史を誇る町でもあります。丘のふもとの大聖堂の素晴らしい天文時計をご覧ください。1858年の製造で、日の出と日の入り、フランスの各港の潮汐(干潮・満潮)、日食・月食などを示す70もの文字盤のある珍しい時計です。

ブザンソンの町は、フランスにおけるミュゼの歴史においても重要な役割を果たしています。一般公開された最古の美術コレクションが形成されたのは、この町でのことだったのです。1694年、ボワゾ司祭が週に2回の一般公開を条件に、自らのコレクションを町に遺贈。これが、美術作品を展示するための場所、という概念の発端となりました。フランスにおける多くのミュゼはその起源をフランス革命に遡るもので、1793年設立のルーヴル美術館も例外ではありません。ブザンソンのミュゼは、ルーヴルより1世紀も前に創設されたのです。その後、革命期の押収品や、地元のコレクターからの寄贈によってより豊かなコレクションを収蔵することとなったブザンソンの美術館は、1843年、ピエール・マルノット(1797-1882)設計の新古典主義様式の穀物市場の中に設置され、1849年には考古学博物館がここに加わることとなったのでした。

1963年には、近代美術をこよなく愛したジョージ・ベッソンとアデル・ベッソン夫妻がボナール(1867-1947)やマティス(1869-1954)などの絵画112点とグラフィック作品を含む300点以上のコレクションを寄贈したことを受けて、町はミュゼの拡張を決定しました。依頼を受けたのは、ル・コルビュジエ(1887-1965)の弟子である建築家のルイ・ミケル(1913-1986)です。ル・コルビュジエは、かつての中庭にシンメトリーや半円アーチを強調したそれまでの建築とは全く異なる、コンクリートの構造物を作った建築家。それに対して、ルイ・ミケルが好んだのは、非対称性と立方体の形態でした。このミュゼでも、踊り場で中断された一連のスロープが、連続性を持って上部とアトリウムにつながり、アトリウムの大きなガラス屋根から射し込む自然光が美術館全体に広がる構造が採用されています。

この度、ミュゼは再び改修されることとなったのですが、過去のふたつの建築物を維持しながら現代の規格に合わせるという難しい課題をブザンソン市から任されたのは、建築家のアデルフォ・スカラネロでした。スカラネロは、コンクリートを生かすことで、この建物元来の魅力と近代性を両立させ、天窓をはじめ多くの窓を設けることで、自然の光を取り込みました。そして2018年、フランス共和国大統領エマニュエル・マクロンによって、ブザンソン美術・考古学博物館はリニューアルオープンしたのでした。

Update : 2021.11.4

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