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▲≪瀕死のケンタウロス≫(1911-1914)のあるブールデルのアトリエ。
©Musée Bourdelle / André Morin |
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ようやくその名を知られることになったのは、1909年以降、≪弓を引くヘラクレス≫(1909)や≪瀕死のケンタウロス≫(1911-1914)といった作品で成功してからのことでした。シャンゼリゼ劇場建設の計画にも参加し、1910年から1913年にかけてこの劇場のために作品を制作しました。大理石の浅浮彫りの数々や、神話からインスピレーションを得て作られたフリーズなどは、今日でも鑑賞することができます。
ブールデルの名は、多くの展覧会を通じて世界に広まってゆきました。アメリカでは1925年の展覧会以降に熱烈な愛好家が生まれましたが、日本でも、大阪で開催されたフランス美術展などを経て、ブールデルの人気はアメリカ並みに高まってゆきました。
そうした活躍と時を同じくして、彼は弟子をとるようになります。ジャコメッティ、ヴィエイラ・ダ・シルヴァ、ジェルメーヌ・リシエといった素晴らしい芸術家が彼のもとを巣立ってゆきました。こうして、ブールデルは1929年にこの世を去った時には、もっとも偉大なフランス彫刻家のひとりと目されるまでになっていたのです。 |