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▲《ジョルジュ・サンドの肖像》
オーギュスト・シャルパンティエ作の模写 1838年
©Maison de George Sand |
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ここは、父親を事故で亡くしたオーロール・デュパン、つまり後のジョルジュ・サンドが、祖母に引き取られてきた場所。彼女はこの村で幼少期と青春の一時期を過ごし、ときおり村の子どもたちと遊びながらも、良家の子女としての教育を受けました。若くしてデュドバン男爵と結婚した彼女は、男爵とのあいだにふたりの子供をもうけました。1823年に生まれた長男モーリスと、その5歳年下の長女ソランジェです。しかし、サンドは当時の常識にとらわれることなく、すぐに男爵と別れます。その後はパリに住まいを移し、時代の先をゆくような自らの思想のままに、ひとりの自由な女性としての人生を送りました。
1832年、彼女は初めてG.サンドというペンネームで『アンディアナ』という小説を発表し、驚くべ成功を収めました。こうして作家としてキャリアをスタートさせ、生涯にわたって文壇で活躍したサンドでしたが、印税を得て暮らす彼女は、当時としてはただひとりの自立した女性だったといえましょう。 |