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ジョルジュ・サンドの家
Paris, le 2 septembre 2008
 
親愛なる日本のみなさまへ

親しい友人が所有するドルドーニュのピュイヴァル城で過ごしたある週末、わたくしと主人はフランス中部のベリー地方にあるノアンに立ち寄り、かの有名な女流作家ジョルジュ・サンドの家を訪ねました。

▲ノアンにあるジョルジュ・サンドの家。
©A.de Montalembert
▲ピュイヴァル城
©A.de Montalembert
この度の小旅行は、彼女の足跡を辿る旅ともなりました。じつは、旅の最終目的地のピュイヴァル城も、皆さまよくご存知のフランス人女優、ソフィー・マルソーが主演したアンジェイ・ズラウスキー監督の映画、『ソフィー・マルソーの愛人日記』(1991)の舞台だったのですよ。映画は、小説的手法を用いてジョルジュ・サンド(1804-1876)とフレデリック・ショパン(1810-1849)を結びつけた愛とその終焉を辿ったもの。サンドが親しい芸術家や知識人らと過ごした、1846年夏のノアンでの日々が描かれています。映画の制作にあたっては、ノアンの家にあったサンドの<青の寝室>が、ピュイヴァル城に完璧に再現されました。今回、わたくしたちがこの部屋に眠るという幸運に恵まれたのも、映画のおかげといえましょう。
ベリー地方は、大地のかぐわしさが感じられる田園地帯。ここでわたくしが目にした世界は、まさにジョルジュ・サンド在りし日のままだったに違いありません。みなさまもぜひわたくしたちと同じようにゆっくりと時間をかけて、この起伏に富んだ景観や、美しい花に彩られた家が並ぶ静かな村々を訪ねてご覧になってみてください。それはまるで、一幅の絵画のような美しさでした。

美しい教会、18世紀に建てられたジョルジュ・サンドの館……。ノアンもまた、19世紀のままの姿を残した小さな村でした。大いなる静けさに満たされ、穏やかな時が流れるこの村では、訪れた誰しもが知らず知らずのうちに、ジョルジュ・サンドの世界に迷い込んでしまうようです。
▲ベリーの田園地帯
©A.de Montalembert
▲ジョルジュ・サンドの家から教会を望む。
©A.de Montalembert

▲ジョルジュ・サンドの家の庭園。
©A.de Montalembert

▲《ジョルジュ・サンドの肖像》
オーギュスト・シャルパンティエ作の模写 1838年
©Maison de George Sand
ここは、父親を事故で亡くしたオーロール・デュパン、つまり後のジョルジュ・サンドが、祖母に引き取られてきた場所。彼女はこの村で幼少期と青春の一時期を過ごし、ときおり村の子どもたちと遊びながらも、良家の子女としての教育を受けました。若くしてデュドバン男爵と結婚した彼女は、男爵とのあいだにふたりの子供をもうけました。1823年に生まれた長男モーリスと、その5歳年下の長女ソランジェです。しかし、サンドは当時の常識にとらわれることなく、すぐに男爵と別れます。その後はパリに住まいを移し、時代の先をゆくような自らの思想のままに、ひとりの自由な女性としての人生を送りました。

1832年、彼女は初めてG.サンドというペンネームで『アンディアナ』という小説を発表し、驚くべ成功を収めました。こうして作家としてキャリアをスタートさせ、生涯にわたって文壇で活躍したサンドでしたが、印税を得て暮らす彼女は、当時としてはただひとりの自立した女性だったといえましょう。
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