▲ニコラ・フーケの肖像
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ヴォー=ル=ヴィコント城の偉大さは、その創建者、たぐいまれなる野心家で、莫大な富と権力を手にしていたニコラ・フーケの歴史抜きには理解できないでしょう。現在、国王のアパルトマンでは「ニコラ・フーケの権勢と不運」と題する展覧会が行われています。この展覧会では、蝋人形が動いたり喋ったりする仕掛けで、フランス史の重要人物であるフーケの生涯の重要な場面を再現しています。
フーケは大蔵卿として、国の財政を立て直す使命を遂行し成功させます。そして、莫大な富を蓄え、美術の収集家、文芸の擁護者として、モリエール(1622-1673)や『寓話』の著者であるラ・フォンテーヌ(1621-1695)をはじめ、数多の芸術家たちを支えたのです。展覧会では、2万6,000冊もの蔵書を誇る図書館で、本に囲まれているラ・フォンテーヌの蝋人形を見ることができます。そして、並外れて豊かな装飾が施された「王の寝室」(日本製の17世紀の漆塗りキャビネットふたつをお見逃しなく)では、国王が大臣たち、とりわけフーケに向かって「自分の同意なくしてはいかなる書類にもサインしてはならない」と厳命する場面が再現され、ルイ14世の絶対的権力が見事に表されています。
▲図書館
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▲王の寝室。ルイ14世と大臣たち
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▲「ビュッフェの間」に再現された1661年8月17日の祝宴
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フーケを破滅へと導いたのは、この城で開かれた祝宴でした。フーケのライバルで大臣でもあったコルベール(1619-1683)は、国王に敬意を表して贅を尽くした祝宴を催すようフーケに勧めたのです。こうして1661年8月17日、コンサートや演劇、花火で演出された祝宴が開かれました。この祝宴の様子を再現したのが、「ビュッフェの間」。17世紀の素晴らしい衣装に身を包んだ人形が置かれ、彩り豊かなお料理がたっぷりと並び、ヴォー=ル=ヴィコント城で撮影されたダンス・パーティーの映像が流されています。
▲ダルタニアンによるフーケ逮捕の様子
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宮廷を超えるほどの豪華さと洗練に、ルイ14世はいらだち、嫉妬心を募らせました。そして祝宴の日から程なくして、フーケは逮捕されてしまいます。フーケの逮捕と牢獄での様子は、城の地下にあるあまり居心地のよくない空間に再現されています。フーケの財産はルイ14世に没収され、ヴェルサイユとルーヴルに移されました。そして同年、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を建造するために、ヴォー=ル=ヴィコント城建設にあたった芸術家たちを招喚したのです。その後、フーケは終身刑を宣告され、1680年に亡くなりました。