
若きピカソがスペインからパリに出てきた最初の10年間、画家は多くの影響をセザンヌから受けました。その後のピカソの人生のなかでは、セザンヌの影は背後に透けて見えるにすぎません。しかし、作品に直接表れていないとしても、ピカソにとってセザンヌは、生涯を通じて大きな支えであり、つねに瞑想し愛したテーマでもあったのです。


またピカソは、セザンヌの作品を所有するに留まらず、目利きとしてセザンヌ作品の真贋に関する意見を求められることもありました。セザンヌの作品に関するピカソの思いは格別で、のちにこんな言葉を残しています。
「セザンヌを知っているかだって? セザンヌは私の唯一無二の師だよ。私がセザンヌの絵をよく眺めていたのを知っているよね……、私は何年も彼の作品を研究してきたんだ」(ブラッサイ『ピカソとの対話』ガリマール出版、1964年、再販1986年、98-99ページ)


「ヴォーヴナルグ時代」といわれるこの時期は、ピカソの人生において特別な期間として異彩を放っています。カンヌ(Cannes)のピカソの別荘ラ・カリフォルニー(La Californie)の賑やかな日々とは異なり、世間に一線を引いた隠遁生活をした時期であったからです。
ピカソはヴォーヴナルグの地で、スペインの独裁者フランコ(Francisco Franco)存命中には帰ることを拒んだ故郷を見ていたのかもしれません。この時期にピカソが描いた絵画は、望郷の思いが色濃くにじんでいます。赤、黄、緑などのスペイン独特の色彩が画面を支配しており、とくに、アルル(Arles)で購入したマンドリンを中心とした静物画のシリーズなどが特徴的です。この作品は現在も城の食堂に飾られています。
城を購入したとき、ピカソはサント・ヴィクトワール山北麓の1,000エーカー以上の土地も同時に買い求めました。つまりピカソは、セザンヌの主要なテーマのひとつを手に入れたという訳です。
さらに色彩においても、形態の扱い方においても独特なピカソの絵画制作は、妻ジャクリーヌ(Jacqueline)の肖像画シリーズ、アンリII世(Henri II)の食器棚、静物画など、多くの傑作を生み出しています。
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