
![]() © Yoko Masuda |
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パリの北部に位置するモンマルトルは、海抜130mの丘からパリを一望することのできるパリ市内有数の観光スポットです。石畳で覆われた街並みはパリの中心部とは異なる風情をかもし出し、頂上のサクレ・クール寺院前や、テルトル広場は一年中大勢の観光客で賑わっています。サクレ・クール寺院は1871年に樹立した革命政府「パリ・コミューン」下で蜂起し、犠牲となった市民を弔うために建てられたものです。1875年に礎石が据えられてから40年の歳月を経て、1914年に完成しました。比較的新しいパリのモニュメントですが、現在はモンマルトルのシンボルとしてパリの風景になくてはならない存在となっています。

© Yoko Masuda
モンマルトルはかつてパリ市の外側に位置し、19世紀に入ってからも雑木林や採石場、多数の風車が存在する「パリ郊外」の風景を保っていました。都市化が進むのは19世紀の中頃からのことです。以降、モンマルトルは居酒屋やダンスホールなどが軒を連ねる歓楽街として活気づき始めます。古くからぶどう園があり、ワイン造りも行われていたモンマルトルは、城壁の外側に位置していたため入市税がかからず、酒類がパリ市内よりも安く楽しめる場所として多くの人々が集まりました。1860年にモンマルトルは18区としてパリに併合されますが、その後も娯楽施設はモンマルトルに根差した文化となって発展し続けます。中でもムーラン・ルージュ (Moulin Rouge)をはじめとするキャバレーはたいへんな人気を博し、ラ・グリュ(La Goulue)やジャンヌ・アヴリル(Jane Avril)といった有名なダンサーを輩出しながら、歌や音楽、ダンスとともに、モンマルトルの夜を華やかに彩りました。
こうした歓楽街があることに加え、当時家賃の安かったモンマルトルには、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの芸術家たちが好んで移り住みます。モンマルトルの娯楽文化はそうしたアーティストたちの心を捉え、画家だけでなく詩人、ミュージシャン、作家、ジャーナリストといった多様なジャンルの表現者たちにインスピレーションを与えることとなりました。
ルノワール (Auguste Renoir)やロートレック (Henri de Toulouse-Lautrec)はモンマルトルの文化を享受しながら、その風景や独特の風俗を描いた画家の代表的な存在です。オルセー美術館所蔵の《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》は、ルノワールがモンマルトルのダンスホールを描いた作品で、カンヴァスにはモンマルトルで楽しむ当時の人々の姿が生き生きと描かれています。またロートレックは、自らも常連であったムーラン・ルージュやル・ディヴァン・ジャポネ (Divan Japonais)など、モンマルトルのキャバレーのポスターを多く手がけたことで知られています。その他にもモンマルトルの自由奔放な「ボエム」の空気に包まれて、ドガ (Edgar Degas)、ピサロ (Camille Pissarro)、フィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent Van Gogh)、モーリス・ユトリロ (Maurice Utrillo)、スタンラン (Théophile Alexandre Steinlen)、デュフィ (Raoul Dufy)、モディリアーニ (Amedeo Modigliani)、ピカソ (Pablo Picasso)といった、後世に名を残すアーティストがこの地にアトリエを構え作品制作を行いました。第一次世界大戦の頃から観光地化や家賃高騰を理由に、芸術家たちはしだいに左岸のモンパルナスへと移っていきますが、それまでモンマルトルはパリの芸術家のいわば「隠れ家」のような場所だったのです。
![]() ©RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski |
![]() ©The British Museum, Londres, Dist. RMN / The Trustees of the British Museum |
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