スイスの首都であり、旧市街がユネスコ世界遺産にも登録されているベルン、その郊外の丘陸シューヌグリューンというエリアに2005年、新しいシンボルが加わりました。パウル・クレー・センターです。
この施設はパウル・クレー(1879-1940)の家族とモーリス・E・ミュラー教授夫婦の寄付によって設立されました。世界中にあるクレーの作品の大半がここに集っています。作品所蔵数は約4,000点で世界一の所蔵数を誇り、彼の作品のうち4割以上がここに所蔵されています。
パウル・クレーは1879年スイス、ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーで生まれました。音楽家のドイツ人の父とスイス人の母を持つ彼は幼い頃から芸術に興味を持ち、ミュンヘンの芸術学校に入学します。クラスメートには、後に有名になる画家ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)もいました。クレーは父の影響もあり、アートと同時に音楽や詩にも興味を持つなどマルチに幅広く創作しました。
1906年にドイツ、ミュンヘンで活動し始めた頃には、カンディンスキーら表現主義画家の芸術家サークル「青騎士」との交流を深めます。その後第一次世界大戦が始まり、ベルンに戻ったクレーは独自のスタイルを見つけ画家として成功していきます。1921年にはドイツのワイマール、そして後にデッサウのバウハウスで美術の指導にあたりました。1931年にはデュッセルドルフの芸術大学の教授になります。しかし、不幸なことに1933年にナチスに追われベルンへ帰ることを余儀なくされます。さらに1934年にはびまん型強皮症と呼ばれる難病にかかり身体を蝕まれながら作品制作を続けた後、1940年に亡くなりました。
さまざまな状況に応じて変化するクレーの作風が彼の人生を物語っています。
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Update : 2015.6.1 文・写真 : 和田徹(Tohru Wada)
建築家。スイス・バーゼル在住。
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