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クーランス城マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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親愛なる日本の皆さまへ

皆さま、夏のヴァカンスのプランはお決まりですか。今月、わたくしが皆さまをご案内するのはフォンテーヌブローの森の外れに位置する「クーランス城」。復活祭と万聖節の間、春から秋のみ見学することができるこの城は、この夏、パリ近郊、バルビゾンやミリー=ラ=フォレへの旅をご予定の方にお勧めの場所です。数多の城が現存するイル=ド=フランス地方にあって、この城は今なお貴族階級の一族が暮らす希有な城のひとつ。当主はガネー侯爵家で、ジャン=ルイ・ド・ガネー侯爵亡き後、現在は、侯爵夫人と三人の娘、そしてその子どもたちが暮らしており、それぞれが城の中に独立したアパルトマンを持っています。今年は侯爵夫人の孫娘のひとりの結婚式がここで執り行われました。つまり、この城は今なお生きた邸宅なのです。それゆえ、クーランス城をお訪ねになれば、まるで、この一族の暮らしの一部を共有したかのような感覚を抱くに違いありません。

クーランスは、とりわけ庭園愛好家の間でよく知られた存在です。クーランスの水の庭はフランスで最も美しいとの定評があるのです。そもそも、「クーランス」の名は、この地を流れる水が豊かで質が良いことに由来しています(訳注:「流れる」はフランス語で「クーラント」)。国王ルイ13世(1601-1643)がフォンテーヌブローを居城としていた際には、ここから飲み水を取り寄せていたというほど、その水質の良さは折り紙付き。そのため、クーランス城の庭園では、水が特別な位置を占めています。75haの広さを誇る美しい庭園には、17の噴水と14の泉のほか、運河や小川が巡らされ、ところどころに小さな滝があります。16世紀以降、発達した水力システムによって、この地に数多ある源泉を活かし、見事な噴水が仕立てられているのです。

16世紀から17世紀初頭にデザインされたこの庭園が、長い歳月を経た今なお、造営当初の魅力をそのままに伝えているのは、驚嘆すべきことでしょう。18世紀、見晴らしを良くするために改変が加えられ、19世紀には、城の周辺が優美に再編されましたが、庭のデザインは、当初から大きく変更されておらず、特徴は保たれています。もうひとつ驚かされることは、フランス革命期にも、庭園が分割されなかったということです。もちろん、この城の歴代の主たちが時代の好みに合わせていくつかの変更を加えることはありましたが、今日では、それがかえって、古典的かつロマン派的という、この庭園の魅力となっています。

クーランスでは、訪問者を導き、次々と驚かせてくれるのも、水です。到着すると、ふたつの泉水「二重のプラタナスの泉水」「一重のプラタナスの泉水」に縁取られた「栄誉の並木道」の向こうに壮麗な城が見えます。これらの大きな木は1782年に植えられたものです。並木道そのものは16世紀に敷かれたもので、わたくしが知る限り、城へ向かう最も美しい通りで、城を取り囲むお堀まで続いています。それと垂直に交わって、東から西へ「フールリーの運河」の流れに沿って、かつての風車まで散歩道が続いています。名高い日本庭園の上に張り出した風車は、現在は、素敵なティーサロンになっています。

神島や滝、小さな橋などがあるここの日本庭園は、ほんとうに驚嘆すべき傑作といえましょう。第一次世界大戦後、美術愛好家で造園技師であった城の当主ベルト・ド・ガネー(1868-1940)が、当時流行していた日本趣味にしたがって設計した庭で、多種多様な花々(スイセン、チューリップ、ヒヤシンスなど)や、日本の伝統にしたがって剪定された珍しい小灌木(モミジ、赤ブナ、竹、フウ)が植えられています。この庭はいつ訪れても、黄や赤、そして緑の繊細なニュアンスまで、まるで花火のようなさまざまなトーンの無限の色合いが楽しめ、季節の移り変わりを感じることができます。現在では、ガネー侯爵夫人が情熱を傾けている庭でもあります。

Update : 2014.8.1

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