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クーランス城マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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日本庭園から城の方へ戻ってくると、訪問者は途中で「浴女の泉水」に出会うでしょう。この名前は、泉水を見下ろすニンフ、アレトゥーサの彫刻に由来しています。この彫刻は、クロード・ポワリエ(1656-1729)がマルリー王立公園のために制作した作品(現在はルーヴル美術館所蔵)の模刻です。また、「蹄鉄の泉」や、五点形に配置されたマロニエ、城の前の刺繍のように刈り込まれたツゲは、19世紀の造園家デュシェーヌ一家が、当時流行していたル・ノートルのスタイルから着想を得てデザインしたものです。

18世紀に造られた「鏡の泉」は、城や木々、空を映す心地良い場所。当主一家は、天気の良い日にはここで水浴びを楽しむそうです。泉の両側には緑の芝生の絨毯が広がっていて、10体の彫刻が並んでいます。これらの彫刻はここに飾るために購入されたもので出自はさまざまですが、全体として素晴らしい装飾効果を上げています。「鏡の泉」の向こうには、円形の「イルカの池」があります。中央にはふたりの子どもの彫刻があり、そのうちのひとりはドラゴンにまたがっています。その少し先、「ロン・ド・モワニーの泉」にも素晴らしい彫刻《蛇の怪物ピュトンを殺したアポロン》があり、力強い表現が印象的です。この彫刻は、城からずっと続く遠近法の消失点となっています。

散歩の間、「ナップの泉」に沿ってお進みください。3段になっていて水が軽やかな音を立てています。また、フランスで2番目に造られた長さ600メートルの大運河をご覧ください。この運河を見て、国王アンリ4世(1553-1610)はフォンテーヌブロー宮殿に運河を造らせたそうです。

柔らかな草に覆われた小道を通り、庭園の中央に堂々と鎮座する城へと戻ってきたら、内部の見学へと参りましょう。ルイ13世様式のこの建物は、数世紀の間に数々の改築が行われました。1552年、コーム・クロスという貴族が、次男のために城を購入します。そして、この父子が庭園と大運河を設計しました。

1630年、城の新たな主となったガラール家が、堀で囲まれた城を新しく建造します。18世紀にもいくつかの改築が行われましたが、特筆すべきは、大きな窓が付けられたことでしょう。19世紀には、所有者のいない時期もありましたが、1830年に、スイスの裕福な銀行家で、社会的地位を築こうとしていたサミュエル・ド・アベール男爵が購入、1872年に修復を終えました。彼は、城のファサードをかつては存在しなかった赤いレンガで覆い、ルイ13世様式に仕立てました。また、棟をさらに高くし、屋根に飾りを施し、ペディメントに小窓を付けました。このときファサードに取り付けられた馬蹄型の巨大な階段は、とても印象的で、少しバランスが悪いとすらいえる階段ですが、これはフォンテーヌブロー宮殿の階段を模倣したものです。庭側には、まっすぐな欄干の付いた階段が造られました。そして、アベール男爵が亡くなると、クーランス城はその娘ベルトと、夫のジャン・ド・ガネーの所有となったのです。

城の内部は、とても住み心地の良いように近代化されています。「大理石の間」に入ると、家族の写真と、ここに招待された名士たちの写真があり、ガネー家を訪れた客人を見ることができます。このサロンに置かれた家具は、摂政時代、ルイ13世時代、ルイ14世時代のものとさまざまです。荘重な暖炉のそばにある大きな肘掛け椅子をご覧ください。ボリュームのある素晴らしいドレスを着た婦人たちが楽に座れるようになっています。タピスリーは17世紀にサヴォヌリー王立タピスリー工房で制作されたもので、ルイ14世の財務総監コルベールの紋章が付いています。長椅子は、ルイ15世の愛人ポンパドール夫人(1721-1764)の弟マリニー侯爵が所有していたものです。

Update : 2014.8.1

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