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シャン=シュル=マルヌ城マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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親愛なる日本の皆さまへ

今月は皆さまを、6年に及ぶ改装工事を経て再オープンした「シャン=シュル=マルヌ城」へとご案内いたしましょう。パリからほど近く、マルヌ川が大きく蛇行する場所に位置するこのシャトーは、18世紀に大流行した「メゾン・ド・プレザンス(田舎の邸宅)」の典型的なスタイルの古城。シャン=シュル=マルヌ村のはずれを歩けば、“建築の宝石”と呼ぶにふさわしい佇まいで、その姿を現します。

シャン=シュル=マルヌ城は、中庭の両側に翼があるU字型をしており、前庭に面したファサードは、皆さまご存知のフランス大統領官邸、エリゼ宮のモデルとなったそうです。一方、庭側のファサードはロトンド(円形)で、フランス式庭園とイギリス式庭園が調和する85ヘクタールの素晴らしい庭に臨んでいます。これらの庭は、1895年に造園家アンリ・デュシェーヌ(1841-1902)の手で改修され、全長900mもの素晴らしい景観を取り戻しました。当時、この城を所有していた銀行家で芸術愛好家のルイ・カーン・ダンヴェール(1837-1922)は、庭を飾るために数多の彫刻を購入しました。庭の西にある《ベルヴェデーレのアポロン》や東の《牝鹿のディアナ》などは、そのときのもので、古代彫刻の模刻です。

もともと、この城はルイ14世の裕福な財務官が建設させたものでした。18世紀にルイ14世の嫡出子コンティ王女(1666-1739)の邸宅となり、その後、ルイ15世の時代には、かの有名な王の愛妾ポンパドゥール夫人(1721-1764)の“隠れ家”となりました。ポンパドゥール夫人は宮廷から距離を置くことを望み、この城に安らぎを見出したといいます。フランス革命期になると、残念なことにこの城は差し押さえの対象となり、家具は売り払われてしまいます。そして、その後はさまざまな所有者の手を転々とし、城は次第に荒廃していきました。

しかし、1895年に前述の銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの手に渡ると、城の状況は一変します。18世紀をこよなく愛したルイは、建築家ワルター=アンドレ・デタイユール(1867-1940)の手を借り、有名家具職人たちが制作した家具を買い集め、この城を18世紀、ポンパドゥール夫人在りし日のような華やかな姿に戻すための修繕を実行したのです。また、往時の輝きを復元するだけでなく、いくつかの部屋をバスルームへと改装するなど、城の近代化にも務めました。ルイの死後には、息子のシャルルが城を受け継ぎました。シャルルは、図書室兼喫煙室の板張りの塗装をはがし、この部屋をとりわけ男性的なものに改装しています。そして1935年、シャルルは城を国家へ遺贈しました。1959年から1968年には、ド・ゴール将軍(1890-1970)がフランスを公式訪問する外国の国家元首を迎える場として使われました。また、1980年以来、ソフィア・コッポラ(1971-)監督の『マリー=アントワネット』(2005年)をはじめ、数多くの映画がこの城で撮影されています。

玄関ホールとサロンに入ったわたくしが、まず驚かされたのは館内に溢れる光です。半円形に突き出した構造のため、中庭から庭園まで見通すことができます。部屋は中心となる廊下に沿って並んでいますが、じつは、これは当時としては斬新な配置。中庭側には階段とキッチンがあり、庭園側には応接室を配した造りになっています。
まずは、幅の広い外階段に面した大広間へ入ってみることにいたしましょう。3つの大窓の向こうには素晴らしい眺望が広がり、大きな鏡がさらにこの部屋の明るさを際立てています。家具は18世紀のものではありませんが、18世紀の板張りと調和しています。レオナール・ブーダン(1761年に親方として登録)の焼き印のある大きなロールトップデスク(18世紀)をご覧になってください。これは、巻き込み式の蓋を閉めることで書類を安全に保管できるということから、当時流行したスタイルの机です。

Update : 2014.10.1

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