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カルヴェ美術館(アヴィニョン)マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

プロヴァンスの玄関口、北ヨーロッパと地中海をつなぐローヌ川のほとりに位置するアヴィニョンは、とても美しい芸術の町です。歴史上、重要な役割を担って来たこの町には、14世紀のゴシック様式の城塞や教皇庁をはじめ、かの有名な12世紀の橋の遺跡、そしてカルヴェ美術館とさまざまな史跡や文化遺産が残されています。中でも他に類を見ない建築遺構の集まる中心街は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。また、毎年7月、国際的な演劇祭が開かれる町としてもよく知られています。

アヴィニョンの町が、今日のように「教皇の都」として歴史の表舞台に躍り出たのは14世紀のことです。1309年、教皇がこの町に居を定めると、以降100年以上にわたってキリスト教徒たちの首都として繁栄を謳歌したのです。1423年に教皇はローマに戻りますが、その後も1791年まで町は教皇の飛び領土として発展を続けました。

18世紀になると、貴族たちが庭園と中庭を持つ壮麗な邸宅を建設しました。とりわけ、ヴィルヌーヴ=マルティニャン邸(1741-1754)は、アヴィニョンの建築物の至宝のひとつとなっており、今日ではここにカルヴェ美術館が入っているのです。1811年4月2日、ナポレオン1世(1769-1821)の政令により作られたこの美術館は、古代エジプトの美術から15〜20世紀の絵画、また彫刻や多数のデッサンも含む、幅広いコレクションを一般に公開しています。

邸宅にはジャック=イニャス・ド・ヴィルヌーヴ侯爵(1713-1765)の名がつけられています。ヴィルヌーヴ侯爵は家族から屋敷を受け継ぐと、改装に着手しました。この仕事を依頼されたのが建築家ジャン=バティスト・フランク(1683-1758)とその息子のフランソワ(1710-1793)。彼らは屋敷を町で最も壮麗な館に生まれ変わらせることに成功しました。その後、ジャック=イニャスが破産すると、館は人手に渡り、19世紀には所有者を転々とすることとなります。アヴィニョン市はこの館をある貿易商から借りていましたが、1833年に買い取り、ここにエスプリ・カルヴェ(1728-1810)のコレクションを収めることとなったのです。裕福な医師で、大コレクターでもあったカルヴェは、図書館と、古代エジプト、ギリシア、エトルリア、ローマの美術品からなるコレクションを町に遺贈します。さらに、美術館はその後も数々の寄贈を受けてコレクションを充実させていったのです。

美術館の建物は1963年に歴史的建造物に指定されています。そして最近になって行われた改装によって、より魅力的なものとなりました。建物の内部は階段が18世紀当時の手付かずのままに保存されていますが、回廊と庭園に面して並んだ3つのサロンは、装い新たに在りし日の輝きを取り戻したのです。古代ギリシアのドーリア様式円柱と瓦屋根を隠す欄干のある洗練されたファサードは、パラディオ様式ともヴェルサイユ様式ともいえるその古典的な佇まいを見せています。道に面した正面玄関には、1888年に鋳造された鉄製の素晴らしい扉がありますが、これは名匠と讃えられるアヴィニョンの金具職人ノエル・ビレの手によるものです。敷石のある中庭に入り、建物中央にある外階段の上、正面玄関の欄干にヴィルヌーヴ=マルティニャンの紋章があるのをご覧ください。

Update : 2015.12.1

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