Français 日本語
ポン=タヴァン美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
informations 3 2 1

Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

南ブルターニュのカンペールとロリアンの間、大西洋のほど近くに、世界にその名を知られた小さな美しい町があります。「画家たちの町」と称されるポン=タヴァン。19世紀の終り頃、多くの芸術家たちが絵を描きにやって来たことから、こう呼び習わされるようになりました。中でも最も有名なのは、今日ではモダンアートの先駆者のひとりとされる画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)でしょう。この町は、後に「ポン=タヴァン派」と呼ばれることになるすべての芸術家たちの、出会いと交流の場所でした。印象派や写実派といった現実を表象する芸術に反発して、従来の絵画の流れから、決定的に異なる芸術を創造したのが、ポン=タヴァン派です。

本日、皆さまをご案内するのは、このポン=タヴァン派のすべての画家たちへオマージュを捧げ、その歴史を語り継ぐために、ポン=タヴァン市が創設したばかりの新しい美術館「ポン=タヴァン美術館」です。そこにはゴーギャンと彼を取り巻く画家たちの作品、そして彼らが創始したスタイルを継承した芸術家たちの作品が展示されています。

ブルターニュらしい美しさに溢れたこの小さな町には、在りし日の画家たちの姿を彷彿とさせるものが点在しています。古い下宿グロアネック館の名は、書店のファサードに残されていますし、その他にも港やたくさんの風車、アムールの森(今では住人たちが散歩を楽しんでいます)、そして彩色された木の十字架がゴーギャンの《若きキリスト》(1888年)のインスピレーションの源となったトレマロの礼拝堂(16世紀)など、画家たちが愛した風景とそこかしこで出会えるのです。かわいらしい小さな港は、大きな岩の間をくねくねと流れるアヴェン川によって海につながっています。往時は、小麦やシードル、木材や石材を運ぶ船が行き交う商港でしたが、今ではクルージング用の港になっています。

ポン=タヴァンとその周辺の地域が、多くの芸術家を惹き付けることになったのは、19世紀後半に鉄道が発達してからのことでした。当初は外国人の、やがてフランス人の芸術家たちが、とりわけ夏になるとやって来るようになりました。彼らは皆、この町の光とアヴェン河口の田舎風の風景、そして、よろこんでモデルになってくれる伝統的な生活をする住人たちに魅了されたのです。そして彼らと一緒に、絵の具屋や画廊、22時まで営業する許可のある飲食店もこの町にやって来ました。家賃やアトリエの費用や生活費は高くありませんでした。1886年にやって来たゴーギャンは、ジュリア・ホテルに泊まるお金がなかったので、質素な下宿グロアネック館に住みました。オーナーは親切なマリー=ジャンヌ・ル・グロアネックでした。ポール・ゴーギャンとエミール・ベルナール(1897-1941)の有名な出会いがあったのはこの下宿屋でのことでした。

一方、ポン=タヴァン広場にブロンズ像が置かれたジュリア・ギグー(1848-1927)は、自らの経営するホテルに、アカデミックな画家たちを迎え入れました。もともとはコンカルノーにあるレストランの給仕だった彼女は、1870年にポン=タヴァンに来てホテルに勤め、オーナーの死後、ホテルを引き継ぎました。宿と食事を安価で提供したことと彼女の暖かい人柄もあいまって、ホテルは大繁盛し、1881年、彼女はホテルの拡張を決定。町で最も大きな広場に面した家を一軒購入してホテル・ジュリアの別館としました。1900年に工事が終わったときには、後に有名になる食堂と、複数のキッチン、そしてバーが備えられ、フロアには寝室とアトリエが並びました。1927年にジュリアが亡くなると、ホテルはその姪に引き継がれましたが1938年に閉鎖。家具や備品はすべて競売に付されました。市に所有権が移ったのは1946年のことです。

Update : 2016.10.1

ページトップへ

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。