Français 日本語
ヴィラ・カヴロワマダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
informations 3 2 1

Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

パリからTGVで1時間、フランスの北部の街リールは豊かな文化遺産を有する活気溢れる大都市です。本日は、このリールと、かつて繊維産業の重要な拠点であったルーベとの間、クロワ村にある近代建築の傑作、「ヴィラ・カヴロワ」へと皆さまをご案内いたしましょう。

ヴィラ・カヴロワは、周囲のどの建物とも異なる前衛的な建築です。設計を手掛けたのはロベール・マレ=ステヴァンス(1886-1945)。ふたつの世界大戦を挟む時代におけるもっとも著名な建築家のひとりとして、ル・コルビュジエ(1887-1965)と並び称されるモダニズムの巨匠です。そのマレ=ステヴァンスが、ルーベの裕福な実業家ポール・カヴロワ一家のために設計したヴィラ・カヴロワは、フランスの近代建築、近代装飾を代表する邸宅として知られ、20世紀の象徴的邸宅の保存に関する国際プロジェクト「Iconic Houses Networks」にも登録されているのです。

1985年までカヴロワ家が暮らしたこの家は、1990年に歴史的建造物に指定されました。その後、2001年に国が買い取り、2008年からはフランス国家建造物センターによって管理されています。荒れ果てた廃屋と化していた邸宅は、2003年から始まった全面的な改修工事によって在りし日の姿を取り戻し、ようやく2015年から一般公開されることになりました。

施主のポール・カヴロワに話を戻すことにいたしましょう。彼は、紡績工場をふたつ、織物工場をひとつ、染色工場をひとつ所有する家族経営企業のオーナーでした。1919年、第一次大戦中に兄が亡くなると、その未亡人ルシー・ヴァヌトリーヴ(1891-1986)と結婚。亡き兄の3人の遺児を引き取るとともに、その後、4人の子に恵まれました。家族のために、自然豊かな田舎の地での健康的な生活を望んだポールは、ルーベの町から離れ、暮らしやすい住宅地のあるクロワ村の一画に土地を購入します。そして、1925年のパリ現代産業装飾芸術国際博覧会の際に出会ったロベール・マレ=ステヴァンスにモダンな邸宅の設計を依頼したのでした。

当時、マレ=ステヴァンスはすでに建築家として名を成しており、裕福な顧客たちの邸宅を手掛けていました。例えば、現在見学もできるフランス南部イレールのノアイユ邸(1923年)をはじめ、パリ16区にはマレ=ステヴァンスの名を冠した通りに彼が設計した個人邸が数多存在しているのです。
マレ=ステヴァンスは、ウィーンの建築家ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)の仕事に影響を受け、ル・コルビュジエをはじめ、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959)や、ドイツのバウハウス、オランダの前衛運動デ・ステイルの影響の色濃い「インターナショナル・スタイル」を支持しました。彼の建築が、形態とボリュームの単純さ、光、空間の機能性の探求に力点が置かれているのは、そのためでしょう。1929年、マレ=ステヴァンスは家具やオブジェの制作において芸術と産業を結びつけるために、「近代芸術家連合」を創設。また、1920年から1928年にかけて、マルセル・レルビエ(1888-1919)監督の『人でなしの女』をはじめ、10点ほどの映画作品で美術装置を手掛けています。1935年にはリール美術学校の校長に任命され、国際近代建築主義を擁護しますが、1945年に亡くなると、遺言によってすべての資料が破棄されました。

Update : 2017.6.1

ページトップへ

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。