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イエールのカイユボット邸マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

ギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)は、印象派の画家たちの作品を蒐集し、彼らを支援したことで歴史に名を刻んだ人物です。その絵画は長らく、余技的なものと考えられてきましたが、今日では印象派グループの中でもとりわけユニークな画家と捉えられるようになりました。忘れられた存在だったカイユボットの再発見の契機をつくったのは、1970年代のアメリカのコレクターたち、そして1994年のグラン・パレ、2013年の東京のブリヂストン美術館での展覧会でしょう。今ではカイユボットの作品は世界中で知られています。

パリの南東20kmに位置する小さな町イエール。この美しい町を流れる同名の川のほとりに、カイユボット家は邸宅を所有していました。カイユボットにとってイエールの地はインスピレーションの源であったのでしょう、戸外で制作された田園風景や有名なボート乗りの情景を含む彼の全作品の三分の一以上(およそ90点)は、彼の地で制作されたもの。改修されたカイユボット邸は、フランスにおける印象派の巡礼地として、今日では避けて通ることのできない場所となっています。

もともとは、1830年代、パリの有名レストランのオーナー、ピエール=フレデリック・ボレルによって整備された邸宅でした。彼は1824年、得意客を招くためにここを買い取り、古代建築風の切妻屋根に列柱、列柱回廊、フリーズ、浅浮彫りを施すなど贅を尽くした改装を行い、この屋敷をイタリア・ルネサンス風のヴィラに変えたのです。この屋敷は「ル・カザン」と呼ばれていました。また、曲りくねった小道のあるイギリス式庭園も造りました。庭園には小さな典型的ファブリック(建造物)がたくさんあり、まるで旅するようにこの庭を散策できる造りになっています。古代の寺院を思わせるオランジュリー(温室)、バラ色の漆喰塗りで装飾された農小屋、正面中庭にはギリシア=ローマ彫刻の置かれたエクセドラ(談話のための半円形の場所)があり、まるで古代のような雰囲気をたたえているのです。

この邸宅に湯水のごとく財を投じたボレルは、やがてその売却を余儀なくされることとなります。そして1843年、第一帝政期の有名な高級家具職人で金銀細工師マルタン=ギヨーム・ビヤンネ(1764-1843)の寡婦ビヤンネ夫人がこの邸宅を買い取ります。彼女はほとんど邸宅に改修を施さず、この時代のものとしては、マルタン=ギヨームが制作した寝室の豪華な家具が残るのみです。

彼女の没後、1860年にこの邸宅を購入したのが、ギュスターヴ・カイユボットの父、マルティアル・カイユボット(1799-1874)でした。マルティアルは毛織物を扱う豊かな商人で、ナポレオン3世の軍隊がその顧客となっていました。イエールに汽車が開通したことを機に、カイユボット家はこの邸宅を購入し、19世紀パリの上流階級らしく、ここでバカンスを過ごし、豊かな自然を満喫しました。マルティアルは、邸宅を手にしてすぐにゲームの間を改修し、庭園にスイス風のシャレ(山小屋)、鳥小屋、洗濯場、また主任司祭だった息子のために礼拝堂を造るなど、邸宅の改装に着手しました。

Update : 2019.2.8

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