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モンテ=クリスト城 バックナンバーを読む
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執筆に集中するために静かな環境を必要としたデュマは、城を望む庭の高台に、水に囲まれた一軒の家を造らせました。石灰岩とレンガ、そして木で建てられたネオゴシック様式の建物で、内部は見学できませんが、壁にデュマの小説の登場人物たちと、小説のタイトルが刻まれているので、ご覧になってみてください。デュマは、ガラス越しに見える1階の仕事部屋にこもって執筆し、2階の寝室で休みました。デュマはこの趣のある建物を“イフ城”と呼んでいました。イフ城とは、フランソワ1世(1494-1547)がマルセイユの防御のために沖合の小さな島に造らせた巨大な要塞の名前ですが、デュマの『モンテ=クリスト伯』(日本では『巌窟王』(黒岩涙香訳)の名でも知られています。)に登場したことで、神話になりました。現在は港から船で見学に行けますので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょう。

▲モンテ=クリスト城の庭の一画に佇む“イフ城”。
©A. de Montalembert
▲“イフ城”の壁には、デュマの小説のタイトルや登場人物の名が刻まれている
©A. de Montalembert
▲“イフ城”へと続く庭の小道
©A. de Montalembert

やがて、デュマの贅を尽くした暮らしも終焉の時を迎えます。デュマは1849年に破産し、モンテ=クリスト城は家具もろとも売り払われました。その後、1969年まで、城はさまざまな人の手に渡り、取り壊しの危機にあったこともありました。幸運なことに、城は1970年にいくつかの近隣団体によって購入され、大規模な改装工事が行われました。同じく1970年には作家の作品を世に広め、また彼の残り建築遺産を保護する目的で、アレクサンドル・デュマ友の会も設立されました。
こうして20世紀後半に至って、モンテ=クリスト城はデュマ在りし日の輝きを取り戻すこととなりました。フランス文学史上に燦然と輝く文豪デュマが考え出した突拍子もない住居を再現することができたのです。
2002年、デュマの遺骸は、ピカルディー地方のヴィリエ=コレットから、パリのパンテオン(フランス国家が誇る偉大な人物の遺灰を収める建造物)に移され、パンテオンに祀られるという最高の栄誉に浴し、デュマは、ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)やエミール・ゾラ(1840-1902)といったフランスの価値観(自由・平等・博愛)を護り、フランス史に名を残す偉大な文豪たちの傍らで、永遠の眠りについているのです。

友情を込めて。


▲モンテ=クリスト城
©A. de Montalembert

▲「ムーア風の間」
©JPB/Château de Monte-Cristo

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