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モンテ=クリスト城 バックナンバーを読む
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▲モンテ=クリスト城
©JPB/Château de Monte-Cristo
親愛なる日本の皆さまへ

今回わたくしは、パリの西、ヴェルサイユとサン=ジェルマン=アン=レーの間に位置するポール=マリーという小さな町を訪ねました。お目当ては、丘の上に佇むモンテ=クリスト城。一風変わったこの城は、19世紀フランスの文豪アレクサンドル・デュマ(1802-1870)が建てたもので、皆さまにもぜひ、ご覧になっていただきたい場所です。デュマは、パリと鉄道で結ばれていて交通の便が良く、セーヌ河を見渡すこの小高い丘に土地を購い、自らの夢の結晶としてこの城を建てました。小説さながらの人生を送ったデュマですが、この城には、文豪の溢れんばかりの想像力が映し出されているのです。


▲花咲くモンテ=クリスト城
©A. de Montalembert

▲ナダール(1820-1910)が撮影したアレクサンドル・デュマのポートレート
©RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski

デュマの父親のトマ=アレクサンドル・デュマ将軍(1762-1806)は、サン=ドマングにプランテーションを所有していたパイユトリー侯爵と、黒人奴隷の女性マリー・セゼットの息子でした。農家を切り盛りするマリーは「デュ・マ(du mas=農家の)」と呼ばれており、後年、デュマ将軍は母にちなんで自らの姓をデュマとしたと伝えられています。
黒人の血を引く文豪デュマは、生涯にわたって差別を受けることとなります。わずか5歳で父親を亡くし、宿屋の娘だった母と田舎で暮らした幼年期──。収入もなく貧窮した暮らしを余儀なくされる日々──。そして、デュマは14歳で公証人の見習いとして働き始めます。パリへ出て、オルレアン卿の図書館で働き口を見つけたのは21歳の時のことでした。若きデュマは、またたく間にパリの暮らしに魅了されました。睡眠時間を削っては外出し、足繁く劇場に通い、優雅で洗練された完璧なダンディーへと変身を遂げるのです。

野心溢れるデュマは、成功への近道を文学と演劇の世界に見いだします。そして、『アンリIII世とその宮廷』(1829年)でコメディ・フランセーズの劇作家デビューを果たし、『アントニー』(1831年)で大成功を収めます。財を成し、名声を手にしたデュマは、新聞を創刊し、劇場を買収するなど、無鉄砲な冒険に乗り出し、後年、破産することとなります。借金を返すために、多くの協力者の手を借りて1日12時間働いたともいわれていますが、そうした協力者の中で最もよく知られているのは、オーギュスト・マケ(1813-1888)でしょう。中にはデュマに代わって、マケが作品を書いていたのではないかと考える人もいたようです。


▲モンテ=クリスト城
©JPB/Château de Monte-Cristo

▲『三銃士』より《リシュリュー枢機卿の前の銃士》19世紀 ルーヴル美術館
©RMN / Thierry Le Mage

デュマは歴史に主題を求めつつ、架空の登場人物を生み出し、想像力を自由に羽ばたかせて新しい物語を紡ぎ出しました。そして、大衆の目に触れやすいように、新聞の連載小説というかたちで発表しました。中でも、1844年に発表した『三銃士』は、それまでにないベストセラーとなりました。ルイ13世(1601-1643)とその三銃士から着想を得た、青春と友情をテーマにした小説で、皆さまにもお馴染みでしょう。アンヌ・ドートリッシュ王妃(1601-1666)に忠誠を尽くす三銃士は、王妃の敵、リシュリュー枢機卿(1585-1642)とスパイのミラディーの策略を華々しく暴いていきます。才気溢れる生き生きとした語りで、魅力的な冒険譚を生んだデュマは、その続編も創作しました。また『モンテ=クリスト伯』(1844-1845年)では、不当な理由で14年間「イフ城」に捕われている主人公エドモン・ダンテスが城を脱出し、自らを陥れた者たちに復讐を遂げていくストーリーが語られます。


▲デュマ自ら考案した彫刻が施されたファサード
©A. de Montalembert

▲ファサードに刻まれた彫刻
©JPB/Château de Monte-Cristo

ひと財産築いたデュマは、田舎暮らしを夢見ます。そこで、ポール=マリーの地に、素晴らしい庭を造り、有名なモンテ=クリストの城を建てたのです。デュマ自らのアイデアが隅々にまで生かされるよう、最良の装飾家たちが集められました。この城を訪れる人々をまず驚かせるのは、全体に彫刻が施されたネオルネサンス様式のファサード。なんと壮大で、なんとデコラティヴなことでしょう!ペディメント(切妻屋根に取り付けた破風)には、先祖の武器とデュマの銘が彫られています。入り口の扉の上には、デュマの肖像を刻んだメダイヨンがあしらわれ、窓の上にはデュマが尊敬した文豪たちの顔、そして小鐘楼の天辺には、絡み合ったイニシャルが刻まれています。


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