ジェレミー・ブノワ氏へのインタビュー ヴェルサイユ宮殿の修復工房レポート ナポレオン時代から続く老舗工房
ソワリ(絹織物)とパスモンテリ(飾紐)の老舗を訪ねて
 
現在、東京で開催中の「ナポレオンとヴェルサイユ」展では、ナポレオンが妻子とともにプライベートな時間を過ごした「午餐の間」や、執務室が再現されていることも話題になっています。美しいフリンジやタッセルで飾られたカーテンや、光沢ある絹織物が張られた椅子など、そこにはフランス伝統工芸の粋が凝縮されています。こうしたみごとな装飾は、ナポレオンの時代から続く老舗工房によって、当時の色やデザインに基づき、今回の展覧会のために作られたもの。パリにある皇帝御用達の工房を訪ね、その伝統の技と素晴らしい品々を見せてもらいました。
高級伝統絹織物工房 タッシナリ&シャテル
 
世界に名だたる絹の都、リヨンの名工房
 フランスには脈々と続く美しい絹織物、工芸装飾品の歴史がある。とくに有名な産地がリヨン。15世紀から大きな市が立ち、商業都市として、またイタリアの影響も受けた文教都市として栄えていたこの町で、本格的に絹製品の生産が始まったのは16世紀のこと。ルネッサンスをフランスに持ち込んだことで知られるフランソワ1世がイタリアから職人を招き、リヨンで絹織物産業に着手させたのが最初である。17世紀初頭までは単色布しか作っていなかったが、以後装飾と技術の分野に大いなる発展をみて高い評価を得るようになった。金糸、銀糸を織り込んだ錦や刺繍をふんだんにあしらった豪華な生地はよく知られるところとなり、とくに高級家具用の絹織物として重用された。最初の注文の記録は残っていないものの、ルイ14世は1666年からヴェルサイユを飾るための織物をリヨンから求めたことがわかっている。当時、室内の暖を保つために壁に布を張ったり、窓に厚いカーテンをかけたりと実用的な側面もあったが、絹織物は豪華さとその時代のスタイルを語るのに何よりも重要な装飾品であった。タッシナリ&シャテルの前身となる絹織物工房は1680年、ルイ・ペルノンによって創業された。時はフランス王室の最盛期であり、ペルノンの商才によって瞬く間にリヨンの名店となったようである。品質、技術の素晴らしさだけでなく、時代の先端をゆく芸術家や装飾家とのコラボレーションなども行ない、趣味のよさでも群を抜いていた。3代後の顧客リストにはフランス王家だけでなく、ロシアやスペインの王室の名も記されている。
▲パリの2区、ルリエーヴルのショールーム内にあるタッシナリ&シャテルのコーナー。プロのデコレーターしか出入りはできない。
この工房はペルノン家が4代に渡り運営し、その後グラン家が引き継ぎ、1870年からタッシナリ&シャテル家の名を冠している。今回の展覧会で、椅子の張り地や会場の壁面を覆う布団張りの生地を再現した工房だ。現在、工房名、仕事の内容、質は保持したまま、リヨンの高級布帛販売会社、ルリエーヴルの傘下に入っている。
 
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ナポレオンが救ったリヨンの窮地
 1789年に始まったフランス革命はリヨンの織物業界に打撃を与えた。仕事の量は3割弱にも落ち込んだ。廃れかかっていた絹産業を救ったのが皇帝に即位したナポレオンである。彼は1805年にリヨンを訪れ絹産業に関する条項を作り、翌年には自身の宮殿と妻ジョゼフィーヌのために、家具用の絹織物の大型注文を行なったのだった。
▲ナポレオンの「王座の間」のための注文が記された当時の帳簿。
この注文の大半をペルノンが受けた。当時の当主は4代目のカミーユ・ペルノン。すでにルイ16世の頃から活躍していた。彼は、シリアのダマスクスでおもに生産されていた地模様が織り込まれたダマスク織りに、横糸を絹、縦糸に綿を用いることを考案。見た目は変わらないもののそれまでより安価なダマスク生地を織り上げて、倹約家であったナポレオンを喜ばせている。
▲アンピール様式の代表的なモチーフ、星とヤシの葉が端にあしらわれている。布はどんぐりと蜂がモチーフのダマスク織り。
 またこの時期は絹織物の産業革命期にあたっていた。ジャカード織りと呼ばれる織機が発明され、より複雑な模様の布が機械でも織ることができるようになった。この発明により、リヨンは19世紀に再び大規模な絹織物の生産地に返り咲く。この工房にも、当時からのジャカード織りの模様を作り出すボール紙の型紙が全て残っているという。
ナポレオン1世時代の装飾スタイルをアンピール様式(帝政様式)と呼ぶが、社会体制が変わって帝政となり、芸術面でも新しいものを生み出そうという気運が高まっていた時代でもある。建築にしても、装飾にしても、今までにない新しい色、華美なイメージを排した男性的なスタイルが提案された。
また遠征を重ねたナポレオンはエキゾチックな雰囲気を好み、皇帝の権威を示威するために古代エジプトやギリシャ、ローマ時代の古典的なモチーフが多く使われた。勝利を意味する月桂樹の葉、幸運を意味するヤシの木の葉、星、ギリシャの雷文文様、ナポレオン家の紋章である、勤勉を表す蜂などはとくに好まれている。
 
▲チュルリー宮殿用に発注されたビロードと錦と刺繍の組み合わせ。モチーフは蜂と月桂樹と星。1809年。
1日に数センチしか織り上がらない貴重な布
 あるダマスク織りは、130cmの幅になんと1万6,400本の糸が使われている。ビロードは50mの布から織り上げても、わずか4m65cmにしかならない。特別な注文の場合、この工房では、世界から集められた高価な絹を、熟練の職人たちが手で織り続けている。現在、昔ながらの複雑な手織りの仕事ができる職人は、リヨンにも数人しかいない。
▲月桂樹柄のビロード。ボルドーの地色が暗いため、その上に編み目状の刺繍が施されている。
細い糸を使った込み入った柄の錦などは、日に3cmほどしか織れないという。手織り職人には技術と共に、そのゆるやかで細かい手間を厭わない忍耐力と、仕事に対する情熱が必要とされる。この職人の確保が今いちばん頭を悩ませるところなのだとか。
▲サンプルのストックはショールームの向かいにあるオフィスに置かれている。
 タッシナリ&シャテルの手織りの絹織物は、現在博物館や城館など、歴史的建造物を飾るためにも作られている。パリにあるオフィスの隣の部屋には、工房創設からのサンプルが約4万点もストックされている。細かい資料は10万点を超えるという。それらを参考に昔の柄などを復元することもあり、すでに失われた技術を手探りで再生させることもあるのだとか。機械では絶対に生み出せない手織りの絹の味わいと美しさは、まさにフランス工芸芸術の至宝のひとつ。この工房は足かけ5世紀の長きに渡って、それを守り続けている。
▲生地のパターンのデザイン画。18世紀のもの。
 
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伝統飾紐工房 デクレーク・パスモンティエ
 
洋服や部屋の装飾に欠かせないアイテム
▲洋服や部屋の装飾に欠かせないアイテム
 パスモンテリとは辞書ではただ飾紐と訳されているが、例えばカーテンの房飾りやソファーなどのエッジに使われる織り物のテープ、シャンデリアを吊るす組紐のようなものまで、室内装飾に使われる糸や布の工芸小物は全てこの名で呼ばれる。パスモンテリが宮廷などで使われるようになったのは、イタリア・ルネッサンスの優雅な室内装飾の流行がフランスにやってきた16世紀のこと。部屋をいっそう華やかに、チャーミングに演出するためのアクセントとして、なくてはならないアイテムとなった。またパスモンテリの工房は昔から洋服につけるリボンなどの飾りも作っており、19世紀には軍服や制服に肩章や房などをつけることが流行したため、製造は最盛期を迎えた。一大生産地は、やはりリヨンの近くのサン・テチエンヌ近辺であったが、仕立屋や家具工房のように、フランスの街角にはパスモンティエ(パスモンテリ工房)がたくさんあった。
 デクレーク工房は1852年創業。現在は6代目が店を切り盛りしている。今回展示されているカーテンのフリンジやタッセル、ボーダーテープは、このデクレーク工房で作られたものである。1970年代にはこのカルティエに約60を数えたパスモンティエも今は2、3軒しか残っていない。インテリアやファッションのスタイルが変わり、大量生産品が出回った時代であり、手工業のアトリエは存続の危機に見舞われた。18世紀創立の老舗ルヴェ&モニ、20世紀初頭に一世を風靡した高級店アンドレ・ブダンも例外ではなかった。それらの一流工房を買い、彼らの伝統を吸収し踏襲して、フランス一の技術を誇るのがこの店である。現在デクレークのショールームには、消えていった工房が保持していたものも含め、4,500もの房飾りのモデルが残っている。ルイ14世時代のものも存在する。その中からいくつかアンピール様式のものを見せてもらった。トリアノンの鏡の間を実際に飾っていたものは油紙に大切に包んでしまわれていた。
▲アンピール様式のパスモンテリ。抑えた色や形のものが多く、また木の実や植物など、古典的なモチーフが多いのが特徴。どれも繊細な細工が施されている。
 
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様々な技術と複雑な工程によって作られる
▲サンプルが置かれている棚の中。まるで宝の山。ひとつひとつがアートのオブジェのように美しい。
 パスモンテリを作る手順はまず糸を染めることから始まる。それから糸を梳き、縦糸を揃える。リボンにするためには織ったり、また房用に糸を撚ったり、紐にするためには編んだりと、作るものによって違うテクニックを用いる。またボリュームのある房飾りには芯に木の型を入れ、その上から糸を織り上げたり、かがったり、差し入れたり、布を貼ったり…。
この型に使われるのは木が堅くて変形することのない桜や梨が使われる。房もいくつか縦に繋がった小型のものなどは、ジャスミンの花の形に似ているのでジャスマン(ジャスミン)の名で呼ばれている。丸い型のものはラディ(ラディッシュ)、ポワレット(小さな梨)、オリヴェット(小さなオリーヴ)などと呼ばれる。小さな部品や糸のタイプ、糸のかがり方などにも、細かく名前がついている。その数はざっと数えても50以上! とくに難しいのはトルションと呼ばれる、日本で言えば手まり刺繍を作るような技術だという。
 腕のいい職人は、いろいろなテクニックを修得しており、自在にそれらを組み合わせ、造型的にも色彩的にも美しくてユニークなものを作り上げる。アイデア、色のセンス、そして手先の器用さも求められる高度な仕事である。
「頭のいい人はいい手を持たなければならないし、手仕事の質を保つためには、いつも複雑な仕事をしなければいけない」と6代目で現在ディレクターを務めるジェローム氏は語る。
生産の80%が未だに手作り
 昔はフランス全域にいた職人も少なくなったため、チュニジアやヴェトナムにもアトリエを広げている。また昔ながらのマテリアルが少なくなっていく、という問題にも直面している。例えば昔のジャカード織機の、織りのパターンを刻み込む設計図の役目をする型紙に使う紙がないという。時代が進むと共にますます伝統を保持するのが難しくなる現実にもひるむことなく、デクレークでは現在も生産の80%は職人の手仕事によって行なっている。伝統の技術を駆使した最高級の品質のものは博物館や王宮などの修復に使われており、世界から集るオーダーメードの注文にも応えている。
▲アンピール様式の模様の飾りバンドの当時の見本帳。
▲右端の雷文文様がアンピール様式の代表的図柄。
▲パリの中心、洋服問屋街の近くにあるオフィス兼ショールーム。
 新しい時代への対応として、ガラスやクリスタルなどの新素材を使い、モダンなテイストのものも生み出している。現在販売しているアイテムも、色、形、様式共に、圧倒的な量のサンプルが用意されており、フランスだけではなく、常に国際的な市場を意識している。過去と現代のバランスをうまく取りつつ、21世紀もフランスのパスモンテリは健在だ。
     
 
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ジェレミー・ブノワ氏へのインタビュー
ヴェルサイユ宮殿 修復工房レポート
 
  田中久美子(文)/Andreas Licht(写真)

取材協力:本野千代子
 
 
ヴェルサイユ宮殿美術館「ナポレオンとヴェルサイユ」展
▲ナポレオンが執務した
グラン・トリアノンの「午餐の間」
©NAKAMURA Yutaka
展覧会の詳細はこちら>>
東京展
会期
  2006.4.8-2006.6.18
会場
  江戸東京博物館
所在地
  東京都墨田区横網1-4-1
開館時間
  9:30-17:30
但し土曜は19:30まで
入館は閉館30分前まで
休館日
  月曜日
観覧料
  一般:1,300円
大学生・専門学校生:1,040円
小学生・中学生・高校生・65歳以上:650円
URL
  博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
ヴェルサイユ及びトリアノン宮殿美術館日本語公式サイトはこちら
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*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。