ジェレミー・ブノワ氏へのインタビュー ヴェルサイユ宮殿の修復工房レポート ナポレオン時代から続く老舗工房
ヴェルサイユ宮殿修復工房
木工細工、金箔、だまし絵の工房
 
▲ウサギの皮を粘土状にして下地を整える
▲下塗りに使われるアシエット
▲注意深く金箔をビロードの作業台へ
▲リス毛のブラシでそっとすくった金箔
▲金箔を貼り付ける瞬間
▲メノウで磨き、ようやく完成
©NAKAMURA Yutaka
往時の手法を踏襲する現代の職人技
 この工房では、椅子の木枠など家具の木の部分や凝った彫刻が施された額縁の修復と、だまし絵の制作をおこなっている。
 グージェさんが修復中のトリアノンの椅子を例に、修復の手順を説明してくれた。これと同じ椅子が今回の展覧会に出品されている。もちろん出品前にグージェさんが修復済みだ。
 椅子や額縁の修復は、穴があいた部分や欠けた部分を補ってから、上に金箔を貼る。まず、ウサギの皮を干したものを水につけて柔らかくし粘土状にする。これに石灰の粉をつけ、手でよく揉みこむ。そして唾をつけて湿らす(水だと水っぽすぎてダメで、唾が最適なのだそう)。この白い粘土状のものを小さくちぎって穴を埋めていく。はみ出たところを削り取り、ヤスリをかければ下地は完成だ。
 次に金箔を載せる作業に入るが、その前にアシエットと呼ばれる赤茶色の顔料で下塗りをする。これはオークル(赤土)にオリーブオイルを混ぜたもの。こうしておくと、金箔が剥がれてきたときに、下地の白ではなく赤茶色が見えて、味のある風合いになるのだ。
 金箔を貼り付ける作業は基本的に日本と同じ。手で触ると油がつくし破けてしまうので、息を吹きかけてからビロードの布を張った小さな作業台に乗せる。まず水とゼラチンを混ぜた糊を、金箔を貼りたい部分に塗っておく。そして、金箔を小さくカットし、リス毛のブラシでそっとすくい取ったら、よじれないように注意しつつ、ぱっと一息で糊のついた部分に乗せる。さらにメノウで磨くと、金箔が下地に馴染んでくる。これはメノウでなければダメなのだそうだ。はみ出したところを、水をつけた硬い筆でこそげ取り、もう一度メノウで磨けば完成。椅子の木枠を一脚修復するのに、かかりっきりでひと月必要とのこと。
 お気づきのことと思うが、ヴェルサイユの修復工房では当時と同じ材料を使って、当時と同じやり方で修復している。うさぎの皮、石灰、ゼラチン、メノウ、唾(!)、どれも自然のものばかり。化学物質は全く使っていないのだ。
繊細な技が生み出す、巧みなだまし絵
 ヴェルサイユのあちこちにある胸像を乗せた大理石の台や壁。これらの多くは板に着色しただまし絵だ。近づいて観察しても、本物かどうかにわかに判断しがたい。この大理石のだまし絵制作を専門としているのはイシエさん。本物の大理石の写真を見ながら板に着色していく。ただし、「石の見た目を最初から真似しようとしても絶対にうまくいかない。薄い色から少しずつ塗り重ねていくのがコツ」だそう。職人の目は大理石に含まれる様々な色を分解して、どの色から塗っていったらいいか判断する。展覧会にも、だまし絵の大理石が使われているが、どうやって描いていったか想像がつくだろうか。
▲微妙な色選びに神経をそそぐ
©NAKAMURA Yutaka
▲少しずつ塗り重ねて大理石の風合いを作る
©NAKAMURA Yutaka
  ▲大理石のだまし絵を得意とするイシエさん
©NAKAMURA Yutaka
 
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家具工房
 
▲電動糸鋸は使わない。手動で少しずつ繊細な形に切り抜いてゆく
©NAKAMURA Yutaka
高い技術に裏打ちされた装飾美
 切りばめ細工や寄せ木細工で細かな飾りをつけた高級家具。この細工の部分を修復するのがこの工房だ。切りばめ細工にはさまざまな素材が用いられる。べっ甲、よくボタンに使われる貝の真珠層、ラピスラズリ、金属、動物の角、金箔、和紙、硝子、象牙。寄せ木細工には、赤褐色のマホガニー、クリーム色のツゲ、薄く縞模様の入ったオーク、桜の木、バラの木、樫の木、栗の木、黒檀、紫檀など。これらを、糸鋸を使って花や鳥、紋章など、信じられないほど複雑で繊細な形に切り抜いてゆく。切り抜く素材を目の高さに置き、手動で少しずつ切る。電動糸鋸は震動があるためきれいに切れないのだそうだ。糸鋸の装置はこの工房でつくったもの。使いやすいように少しずつ改良を加えていったそうだ。
▲切りばめ細工の制作過程。地と図が反転した図柄を作るのは、ブール派の特徴
©NAKAMURA Yutaka
ヴェルサイユの栄華を映す伝統の技
 この工房の職人たちは皆、17世紀に活躍した高級家具職人リシャール・ブールに端を発する「ブール学校」で技術を習得している。ブールは新しい技法を次々と編みだし、「ブール派」と呼ばれる高級家具のひとつの流派を築いた。ブール派のスタイルは、基本的にはルイ14世様式で、左右対称の幾何学模様を好んで用いるのが特徴だが、その特徴はスタイルよりもブールが編み出した新たな技法そのものにある。例えば、オーク材にツゲ材の花をはめ込んだ模様をつくるときには、オーク材とツゲ材を二枚重ねて花形に切り抜き、ツゲの花をオークの切り抜かれた部分にはめ込むのだが、そうすると当然のことながら花形に切り抜かれたツゲと、花形のオークが残る。
それを利用して、ツゲの地にオークの花の図をつくり、もうひとつ別の家具の装飾に利用することを思いついたのがブールだった。そういうわけで、ブール派は、地と図が反転した家具を対でつくるのが基本だ。
また、動物の角を薄くのばしたものに和紙を貼ったり、べっ甲に金箔を貼ったりして独特の質感や色をつくりだし、絵を描いて着色した紙の上にガラスを乗せるのも、ブールが考案あるいはよく用いた技法で、そのままブール派の特徴となっている。ヴェルサイユの最も華やかな時代に生まれたブール家具の伝統と技術は、現代にも確かに受け継がれているのだ。
▲ブール派の伝統を受け継ぐ職人たち
©NAKAMURA Yutaka
 
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タピスリー工房
 
次代に受け継がれる修復の精神
 タピスリーとは、家具に布を張ること。椅子の布ばり部分の修復のほか、ベッドカバー、天蓋もあつかう。ここでも、基本的には当時と同じ素材を用いて修復をおこなっている。麻を帯状に切ったものを網目状に組んで底を張り、馬のたてがみを詰め物にして、ジュートをかぶせて回りを縫い止める。上から縫い入れて横から出せるように、針は大きな孤を描くように曲がっている。
▲詰め物には馬のたてがみが使われる
©NAKAMURA Yutaka
この上に綿の布をかぶせ、最後に美しい柄のついた絹の布を張る。工房には当時使われていたのと同じ色、同じ柄の布がストックされている。パリの業者に特別に注文したものだ。
▲電動糸鋸は使わない。手動で少しずつ繊細な形に切り抜いてゆく
©NAKAMURA Yutaka
▲たくさんの布がストックされる工房
©NAKAMURA Yutaka
▲工房長のピッザガーリさん
©NAKAMURA Yutaka
 ヴェルサイユのタピスリー工房がほかのタピスリー工房と違うところは、ミュージアム・ピース(美術館の作品)を扱うということだ。つまり、椅子を元の通りに直すのではなく、現状を最大限に保存することに注意を払う。布は新しいものに張り替えるにせよ、使える材料はすべてそのままリサイクルする。一度取り出した詰め物もそのまま使う。また、椅子の木枠が傷んでいるときは、別の木枠にあらかじめ詰め物をして布を張り、それを椅子の背中の部分に貼り付けるという方法をとる。使うための椅子の修復とは全く違う方法だ。とはいえ、当時のやり方にしたがって座り心地に関わる部分もおろそかにしない。座面の端に詰め物でちょっとした高さを設けるなど、見えないところまで、しっかりと当時の手法を踏襲しているのだ。
 ヴェルサイユにある家具は、ナポレオンがいないときはすべてカバーをかけていたとのこと。現在、ヴェルサイユに行くとカバーをはずした状態で見られるが「実はこれはとても贅沢なこと」と工房長のピッザガーリさんは教えてくれた。タピスリーのアトリエでは二人の若い見習職人ステファンさんとクレールさんにも会うことができた。こうして工房の技術は次の世代に伝えられていくのだ。
 
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ジェレミー・ブノワ氏へのインタビュー
5月は「ナポレオン時代から続く老舗工房」です
 
  文:阿部明日香 著者プロフィール:
東京大学およびパリ第一(パンテオン・ソルボンヌ)大学博士課程。
専門はフランス近代美術、特にその「受容」について研究中。
  写真:中村豊

取材協力:本野千代子
 
 
 
▲ フランソワ・ジェラール
『戴冠式の正装の皇帝ナポレオン』油彩
©Jean-Marc Manaï,
Château de Versailles
ヴェルサイユ宮殿美術館「ナポレオンとヴェルサイユ」展
▲ アントワーヌ=ジャン・グロ
『アルコル橋のボナパルト将軍
(1796年11月17日)』油彩
©Jean-Marc Manaï,
Château de Versailles
展覧会の詳細はこちら>>
東京展
会期
  2006.4.8-2006.6.18
会場
  江戸東京博物館
所在地
  東京都墨田区横網1-4-1
開館時間
  9:30-17:30
但し土曜は19:30まで
入館は閉館30分前まで
休館日
  月曜日
観覧料
  一般:1,300円
大学生・専門学校生:1,040円
小学生・中学生・高校生・65歳以上:650円
URL
  博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
ヴェルサイユ及びトリアノン宮殿美術館日本語公式サイトはこちら
MMF三周年記念キャンペーン第2弾
MMFでは3周年を記念して、全館でヴェルサイユを大特集。ルイ14世、マリー=アントワネット、ナポレオンなど、ヴェルサイユゆかりの人物にクローズアップした展示をご覧いただきます。
キャンペーン期間中にご来館いただいた方には、MMFオリジナルのヴェルサイユ宮殿ポケットガイドをプレゼントいたします。
詳しくはこちら
 
ジェレミー・ブノワ氏講演会のお知らせ
  『ナポレオンとヴェルサイユ』展開幕の機会に来日するブノワ氏の講演会を開催いたします。  
特別講演会
『ナポレオン時代の装飾様式』ヴェルサイユ宮殿のコレクションをめぐって
日時
  2006年4月10日(月)
10:00-11:30
場所
  恵比寿・日仏会館
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*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。