ヨーロッパ文明にとってのギリシア文明 ジャン=リュック・マルティネズ氏講演会レポート
オランジュリー美術館 Musee du Louvre
オランジュリー美術館 ジャン=リュック・マルティネズ氏講演会レポート
オランジュリー美術館
東京藝術大学大学美術館の「ルーヴル美術館展 古代ギリシア芸術・神々の遺産」の開催を目前に控えた6月14日。本展のコミッショナー、ジャン=リュック・マルティネズ氏(ルーヴル美術館古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門主任学芸員/Jean-Luc Martinez)による記念講演会が東京日仏学院で開かれました。展示方法を模索する学芸員の方々の苦労、今後のルーヴル美術館の展望などにも話が及んだ2時間。なかなか触れるチャンスの少ないルーヴルの“舞台裏”をご紹介いただき、古代美術を鑑賞する新たな視点を得られた参加者の方々も多いと思います。その充実の講演会の内容を一部抜粋してご紹介します。
©Jean-Luc Martinez
フランス語による講演会内容全文(PDF)はこちら>>
Version retranscrite et modifiée de la conférence de Jean-Luc Martinez
« L'art grec au musée du Louvre: des salles permanentes aux expositions temporaires » qui a eu lieu Le 14 juin 2006, à l'Institut franco-japonais de Tokyo.
Ancien membre de l'Ecole Française d'Athènes, Jean-Luc Martinez est Conservateur en chef du Patrimoine, au département des Antiquités grecques, étrusques et romaines du musée du Louvre.
イタリアの美術館にならったルーヴル宮のナポレオン美術館
▲ジャン=リュック・マルティネズ氏。
Monsieur Jean-Luc Martinez
  ▲満席となった講演会当日。
Conférence à l'Institut franco-japonais de Tokyo
 今日は皆さんに、古代ギリシア・コレクションがルーヴル美術館でどのように展示されてきたかを中心に、お話していきたいと思います。ルーヴル美術館は、ほぼ2世紀にわたって、改修工事が続けられています。
展示方法の変遷をご紹介することによって、現在ルーヴルで進行中の改装工事の意味をお分かりいただけると思いますし、今回東京で開催されるような古代美術の企画展の意義や、そのメリットもお伝えできると考えています。
 ご存知のようにルーヴルの歴史は1793年に始まります。そして古代のコレクションが展示されるようになったのは、1800年以降のことです。展示会場は、ルーヴル宮内のナポレオン美術館。
かつて王妃の夏のアパルトマンとして使われていた部分がナポレオン(Napoléon Bonaparte)の執政政府下、および帝政下に、ギャラリーとして整備され、古今を通じて最大の古代芸術の美術館が誕生したのです。1階には、イタリアやドイツからの戦利品である古代彫刻のコレクションが飾られ、そして2階には絵画アカデミーの作品が紹介されました。そう、サロン(官展)が行われていた場所です。ここでの作品の展示方法は、イタリアの美術館の手法を踏襲していました。
▲ナポレオン美術館では図像学的な展示法が用いられており、古代芸術は彫刻作品だけに限られていた。
Napoléon Ier recevant au Louvre les députés de l'armée après son couronnement
©Photo RMN/Droits reserves/distributed by DNPAC
具体的に言うと、それはヴァティカンのピオ・クレメンティーノ美術館の方法です。ピオ・クレメンティーノ美術館は、1780〜1785年に開設した美術館で、ここでの展示の仕方が18世紀欧州の美術館の規範となったと言うことができます。彫像は円柱の上に飾られ、「ロトンド」と呼ばれる傑作が集まる円形の展示室の壁は鮮やかな赤。そして床には古代のモザイクがはめ込まれていました。
ナポレオン美術館でも同じような形式がとられていましたが、これは、ナポレオン美術館の開設に、元はイタリアのボルゲーゼ家(Borghèse)で働いていた考古学者、エニウス・クィリヌス・ヴィスコンティ(Ennius Quirinus Visconti)が大きく関わっていたためです。彼はピオ・クレメンティーノ美術館やヴィラ・ボルゲーゼなどを整備し、ルーヴルの古代美術コレクションも多く収集しました。ナポレオン美術館には「使節の間」「皇帝の間」「ローマの間」などがありましたが、各部屋ごとにテーマが決められ、そこに作品を飾っていきました。
▲1812〜1815年頃のルーヴルの様子。円柱の上に置かれた胸像や高い台座は、ピオ・クレメンティーノ美術館と同じ形式。
Le Musée des antiques au Louvre: Salle des Empereurs
©Photo RMN/Droits reserves/distributed by DNPAC
そして、そのテーマに即した天井画が描かれました。つまり天井画を見れば、その部屋のテーマが分かるという訳です。これはヴァティカンと同じスタイルです。さらに彫刻は左右対称に置かれ、台座は高く、レリーフは下方に置かれた石棺などにはめ込まれました。多色使いが好まれたのもこの時代の特徴です。経済的な理由から台座などには、本物の大理石ではなく、着色した木が使われました。
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18世紀のスタイルを固持し続けたナポレオン美術館が直面した数々の問題
 しかし、このスタイルは美術館を訪れる人々や学芸員にとって、ある問題を投じることになります。どういう順路で進めばよいか分かりにくいのです。また、美術館の将来を考える上でも問題にぶつかりました。というのも、作品はレリーフや壁、台座のなかに埋め込まれているため、簡単に移動することができません。新しいコレクションが届いても、既存の部屋に置くことができなくなってしまうのです。開設して間もないナポレオン美術館でも、コレクションを拡大できないという問題点に直面することになりました。
1807年、ドイツから押収した「戦利品」の数々は別の場所での展示を余儀なくされました。さらに同年、ナポレオンは妹の嫁ぎ先であるボルゲーゼ家から多くのコレクションを購入しましたが、そのコレクションがパリに到着したとき、すでにナポレオン美術館には、それらを展示する場所がどこにもないという有り様だったのです。 
 こうした問題を解決するべく、徹底的な改修が行われることになりました。しかしながら、この改修は未完成に終わりました。
▲ナポレオンは、1797年のトレンティーノ条約によりヴァティカンからも『ラオコーン』や『うずくまるヴィーナス』など名高い作品を獲得した。
La Salle des saisons au Louvre
©Photo RMN/Christian Jean/distributed by DNPAC
1815年、ナポレオンはワーテルローの戦いで敗北したからです。このとき、それまでイタリアやドイツ欧州各地で獲得した戦利品は返却を強いられ、展示室は空っぽになってしまいました。しかしここで展示室の穴を埋めることに役立ったのが、ボルゲーゼ・コレクションでした。この時も前述のヴィスコンティがボルゲーゼ・コレクションのなかから、返還した作品の代わりになるものを1点、1点選んで展示していきました。石棺の上には胸像がおかれ、台座も高いままです。そして、レリーフは台座に埋め込まれました。つまりその展示方法は以前とまったく変わらないものだったのです。
ある意味、ナポレオンは戦争に負けなかったということができるかもしれません。なぜなら、美術館のなかでナポレオンの考え方はずっと生きていたからです。まるで19世紀の間じゅう、ナポレオンの幽霊がそこにいたかのようです。学芸員たちは同じようなイメージを再現しようと試みました。何があってもナポレオン美術館が存続するようにと、努力していたかのように思われます。
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時代とともに変遷する『ミロのヴィーナス』の展示
 次に『ミロのヴィーナス』についてお話をしたいと思います。ルーヴルの至宝のひとつでもあるこの作品は、ナポレオン帝国の崩壊後、1821年に購入されました。当時のこの作品の展示方法をみても、ルーヴルにおけるナポレオン美術館の痕跡がいかに強いかが分かります。まず購入後、国王ルイ18世が一時的に作品を鑑賞したあと、すぐに1階の「ティベレ川の間」に収められました。
▲「ティベレ川の間」で、彫像に埋もれるように展示されていた『ミロのヴィーナス』。
Vue de la Salle du Tibre au Musée du Louvre
©Photo RMN/Christian Jean/distributed by DNPAC
しかしこの時は、彫像の森の真ん中にあるかのような展示方法がとられました。『ミロのヴィーナス』は、蓄積する作品の犠牲になったのです。当然この展示は大きな批判をうけますが、1870年まで続くことになります。一度決められたこの展示方法を変更するには、“事件”が必要だったのです。
1870年普仏戦争が勃発、そして翌年には市民が蜂起するパリ・コミューンが起こりました。
この際、ルーヴルの一部の作品は避難の対象になります。『ミロのヴィーナス』も一部解体され、宮殿の別の場所で展示されることになりました。1871年には、『ミロのヴィーナス』のための新しいギャラリーが作られました。そこには、古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門が所有するすべてのヴィーナス像が集められました。
いわゆる「ヴィーナスのギャラリー」が誕生したのです。これは一定の図像学に基づいたテーマ別の展示ということになります。その後、1階から2階へ上がるための階段が造られるなどの変更が加えられ、1935年、『ミロのヴィーナス』はようやくルーヴルのなかで、皆さんにお馴染みの定位置を獲得しました。
以来70年余り、『ミロのヴィーナス』は長いギャラリーの奥に佇んでいましたが、じつはほんの10日ばかり前の5月末に上の階に移されました。長い間この『ミロのヴィーナス』は、19世紀の展示方法、言い換えればナポレオン美術館の痕跡のなかで展示されてきました。しかし、21世紀にむけて古代ギリシアのコレクション展示室が全面的に改装されることになり、完成までの2年間を仮の場所で過ごすことになったのです。
▲『ミロのヴィーナス』は、1階のギャラリー奥に2006年5月まで70年間変わらず展示されていた。
La Vénus de Milo
©Photo:RMN/D.Arnaudet/digital file by DNPAC distributed by DNPAC
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企画展開催のメリットとルーヴル美術館の今後
▲胸像や彫刻、アンフォラなどが同じ場所に展示される東京藝術大学大学美術館の会場。
La salle de l'exposition de Tokyo consacrée au sport
©Jean-Luc Martinez
 現在、私たちは2年後の2008年の完成にむけて、古代ギリシアの展示室の改修工事に入りました。今回東京で開催される「ルーヴル美術館展 古代ギリシア・神々の遺産」は、作品が新たなスペースに飾られるまでの期間を利用して実現した展覧会です。私はアラン・パスキエ(ルーヴル美術館古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門部長/Alain Pasquier)とともに、現在の素材別・技法別の展示に替わり、多彩な作品群を混ぜ合わせた新しい展示方法を模索しています。
同時代に制作されたテラコッタや大理石像、そして花瓶などを同じ場所に展示することによって、単なる素材・技法別の展示法に年代順の分類法が加わり、一貫性が与えられると考えたのです。
 そして今回の東京の展覧会は、私たちが現在取り組んでいるこうした新しい展示方法をルーヴルの改装に先立ってお見せする好機でもあります。さらに本展では、時代性を尊重すると同時に、紀元前5〜4世紀のポリス(都市)の歴史や政治組織のあり方、スポーツや饗宴、演劇など独自の文化活動が発展した背景、生活に浸透していた宗教、神々の世界といったテーマを設けることで、ギリシア文明そのものが俯瞰できるような形になっています。
 また、こうした企画展を開催するメリットはほかにもあります。企画展を機に、現在の作品の状態を調査し直し、修復を行うことも頻繁にあります。紀元前4世紀に墓標として制作されたライオン像は、今回の展覧会のために汚れを落とす機会に恵まれました。また地震の多い日本で展覧会を開催するにあたっては、彫像をしっかりと台座に立たせるシステムも開発しなければなりませんでした。このように企画展の開催によって、今後常設展のために利用できる、さまざまな技術や資料を得ることができるのです。
東京藝術大学大学美術館の自然光が差し込む美しい展示室には、ルーヴルを飾る傑作群が集結しています。ルーヴルでは余りにも観客が多いため、彫刻は壁の近くに置かれていますが、今回の会場では、観客が彫刻の周囲をぐるりとまわって鑑賞できるという、贅沢な展示の形をとっています。どうぞゆっくりと、古代ギリシア文明の至宝を堪能してみてください。
急ぎ足ではありますが、今日の講演会で私たち学芸員の日常の仕事の一端を垣間見ていただけたかと思います。21世紀に入り、私たちはさらなる問題に直面しています。
▲汚れが目立つまだ作業前のライオン像。
Lion funéraire avant nettoyage
©Jean-Luc Martinez
▲粘土とアルミ箔を使って洗浄を行う。
Lion funéraire pendant le nettoyage
©Jean-Luc Martinez
▲パルプによって汚れが吸収され美しさを取り戻したライオン像
Lion funéraire aprés nettoyage
©Jean-Luc Martinez
作品や調度品、そしてルーヴル宮そのものの状態はもちろん、改修やコレクションの歴史、また小学生から学者まで、さまざまな期待を抱いてやってくる多彩な観客も尊重しなければなりません。現在ルーヴル美術館では『ミロのヴィーナス』の展示形態を模索しています。像の状態を確認し、台座の形は円筒であるべきか、四角であるべきかなどを考え、またその置き方もテストを重ねています。このように、私たちは、どうすればなるべくよい状況で、多くの人々にルーヴルの古代ギリシア芸術を見ていただけるかということを、日々考えているのです。
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フランス語による講演会内容全文はこちら>>
Version retranscrite et modifiée de la conférence de Jean-Luc Martinez
« L'art grec au musée du Louvre: des salles permanentes aux expositions temporaires » qui a eu lieu Le 14 juin 2006, à l'Institut franco-japonais de Tokyo.

 
▲『アルルのヴィーナス』※
La Vénus d'Arles
前1世紀(原作:前360年頃)大理石 高:220.0cm
© D.Lebée et C. Déambrosis / Musée du Louvre
ルーヴル美術館展‐古代ギリシア芸術・神々の遺産‐
会期
  2006.6.17-2006.8.20
会場
  東京藝術大学大学美術館
(上野公園)
所在地
  東京都台東区上野公園12-8
開館時間
  10:00-17:00
入館は16:30まで
休館日
  月曜日
但し7/17(月)は開館、
7/18(火)は振替休館
観覧料
一般:1,300円
大学生・高校生:1,000円
中学生以下・障害手帳をお持ちの方(介護者1名含):無料
巡回展
  東京展の後、京都展を開催
2006.9.5-2006.11.5
京都市美術館
本展図録をインフォメーション・センターでご覧いただけるようになりました!
 
MMF3周年記念特別展示 MMFは、まるごとルーヴル
MMFの3周年記念キャンペーン第3弾では、全館でルーヴル美術館を大特集。今回の特別展のテーマである古代ギリシアの魅力はもちろん、各部門のミュージアムグッズまで、さまざまな視点からルーヴルの楽しみ方を紹介します。
MMFインフォメーション・センターでは、ルーヴル美術館に関する書籍を揃えた“ルーヴル・コーナー”を設けて、皆さまをお待ちしております。 
「ルーヴル美術館の魅力―フランス絵画の黄金時代」第2回「アングル」7月22日(土)申し込み受付中
美の殿堂ルーヴル美術館を、もっと楽しんでいただくための連続講座。千足伸行先生(成城大学教授)に、フランス絵画史上の巨匠、ダヴィッド、アングル、ドラクロワについてお話いただきます。
  詳しくはこちら
 
講演会同時通訳:福崎裕子氏、津田潤子氏

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。