10月25日(火)から、東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中の「ヴェルサイユ宮殿《監修》 マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実」。マリー・アントワネット展の集大成と言われる、今季注目の展覧会です。彼女が実際に暮らしたヴェルサイユ宮殿が企画・監修をつとめるとともに、フランス内外の重要な美術館からも美術品を集めて、マリー・アントワネットの生涯の“すべて”をたどれる内容となっています。その見どころを、王妃の生涯とともにダイジェストでご案内します。
▲マルティン・ファン・マイテンス(子) による《1755年の皇帝一家の肖像》(左)。その隣はマリー・アントワネットがフランスへ出発する直前に描かれた《チェンバロを弾くオーストリア皇女マリー・アントワネット》。
真っ赤な壁が印象的な最初の展示室で最初に出会う大作です。この絵で存在感を示すのは、貫禄たっぷりのオーストリア大公マリア=テレジアですが、今回の展覧会での主人公は、作品の中央、小さな揺り籠の中に描かれた赤ちゃん。これが、マリー・アントワネットです。その斜め前で金の椅子に座った少女は、マリー・アントワネットのすぐ上の姉。じつは、当初、彼女がフランス皇太子妃候補でした。ところが、ナポリ王との結婚が決まっていたその上の姉が急死したために、急遽ナポリ王と結婚。代わりにマリー・アントワネットがフランス皇太子妃となったのです。フランス史上、もっとも有名な王妃が、番狂わせで誕生したことを実感させる一枚です。
▲マルシャル・ドニ クロード=ルイ・デレの原画に基づく
《大盛装姿のオーストリア皇女、フランス王妃マリー・アントワネット》
1785年以降
ヴェルサイユ宮殿美術館
©Château de Versailless
若いマリー・アントワネットは、ファッションに並外れた情熱を注ぐようになり、やがてヨーロッパのファッション・リーダーになります。
1770年、マリー・アントワネットは、オーストリアからフランスへと輿入れして、皇太子妃となりました。弱冠14歳。一方のフランス皇太子(のちのルイ16世)は、15歳。無口で引っ込み思案であったと言われています。そして、ふたりの婚姻からわずか5年後の1775年6月11日、ルイ16世の戴冠式が行われました。即位したルイ16世が最初に言った言葉は「神よ守り給え、このように若くして国を治める私たちを!」だったそうですが、確かに、展示室に並ぶ肖像画を見ていると、気のせいか若いふたりの未熟さが見え隠れして、その後の悲劇を暗示しているようにも思えてきます。
展示の中盤は、ヴェルサイユ宮殿でのマリー・アントワネットの“暮らし”にスポットを当てた展示が続きます。中でも本展最大の見どころのひとつが、プチ・アパルトマンを実寸大で再現した展示室。ほかにも、王妃の寝室の金襴をふんだんに用いたテキスタイルの数々は、王妃の金銭感覚が狂うのもさもありなん、という豪華さです。なにしろ、当時のヴェルサイユ宮殿は、ヨーロッパ各国の王室に誇示された豪華な宮殿の見本帳のようなものだったのです。その裏で、財政が慢性的な赤字であったことなど、若い王妃には知る由もないことだったのかもしれません。
次ページでは、悲劇へと向かう王妃の生涯を物語る美術品を紹介します。>>
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