アール・ヌーヴォーの巨匠 エミール・ガレを育てたマイゼンタール

豊かな自然が育んだアルザス=ロレーヌ地方のガラス産業

▲エミール・ガレ
© Musée du verre Meisenthal

 ドイツとの国境近く、フランス北東部に位置するアルザス=ロレーヌ地方。この地域はガラスの主要な原料となる珪砂(けいさ)や、ガラス工芸に不可欠な薪を入手できる森林が豊かなことから、古来ガラス産業が興隆した地として知られています。フランスで初めてクリスタル製造を行ったことで有名なサン・ルイ社(Cristallerie de Saint Louis)は、ロレーヌ地域圏に工場を構える代表的なクリスタルメーカーのひとつ。そして19世紀から20世紀にかけて活躍したエミール・ガレ、ドーム兄弟(Daum Frères)、ルネ・ラリック(René Lalique)といったフランスの著名なガラス工芸家たちも、このアルザス=ロレーヌ地方に自社の工場やアトリエを構えました。

▲高台から望むマイゼンタールの町の様子(1892年)
© Musée du verre Meisenthal

 中でもアルザスとの境に位置するロレーヌ地域圏の町マイゼンタールは、ガレと深いゆかりを持つ土地です。ガレのガラス工芸家としての成功の道のりは、このマイゼンタールに触れずして語ることはできません。というのも、この小さな谷の交差する豊かな自然に囲まれた町で、ガレは1867年から27年もの間、自社のガラス製品の製造を行っていたからです。

マイゼンタールでのガラス産業の始まり

▲ブルグン・シュヴェレール社で働くガラス職人たち(1892年)
© Musée du verre Meisenthal

 マイゼンタールでガラス製造が盛んに行われるようになるのは、18世紀に入ってからのことでした。それまでロレーヌのガラス職人たちは、周辺に薪が足りなくなるたびに新しい場所へと工房を移転させる日々を送っていました。そして1700年、マイゼンタールの町にも薪を求めて数人のガラス職人たちがやってきます。諸侯の許可のもと、彼らが小川のほとりに新しいガラス工房を造ったのは、その4年後のことでした。これが以降250年以上にわたって続く、マイゼンタールのガラス産業の始まりです。

▲ブルグン・シュヴェレール社(Verrerie d'Art de Lorraine B.S.& Co.)のアール・ヌーヴォー作品。《昼顔の一輪挿し》1897〜1903年 マイゼンタール・ガラス博物館蔵 
© Musée du verre Meisenthal

 1824年、工房の創始者の子孫によりマイゼンタールにブルグン・シュヴェレール社(Burgun, Schverer & Cie.)が設立されると、マイゼンタールのガラスは高級テーブルウエアとして順調に発展していきました。ブルグン・シュヴェレール社は、創立からわずか2年後の1826年、さらには1834年に、メッス(Metz)で行われた美術・産業博覧会で第1位を受賞するなど、高い評判を得ることに成功します。また19世紀中頃から薪に代わって石炭が使用され始めると、さらにマイゼンタールのガラスの生産高は飛躍的に伸びていきました。

 そして1860年頃、ブルグン・シュヴェレール社は、フランス東部、ロレーヌ地方の中心都市、ナンシー(Nancy)のとあるクリスタル店と提携を始めます。その店の経営者であったのが、ガレの父親であるシャルル・ガレ(Charles Gallé)でした。ガレとマイゼンタールの深い縁は、こうして始まりました。

▲ブルグン・シュヴェレール社(Verrerie d'Art de Lorraine B.S.& Co.)のアール・ヌーヴォー作品。《シャクナゲの花瓶》1897〜1903年 マイゼンタール・ガラス博物館蔵
© Musée du verre Meisenthal
▲ブルグン・シュヴェレール社(Verrerie d'Art de Lorraine B.S.& Co.)のアール・ヌーヴォー作品。《桃の花の鉢》1897〜1903年 マイゼンタール・ガラス博物館蔵
© Musée du verre Meisenthal
Update : 2011.8.1
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マイゼンタール

マイゼンタール

パリの北東367kmに位置するロレーヌ地域圏・モゼル県のマイゼンタールは、人口約770人の小さな町。