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フォンテーヌブロー宮殿─第2帝政期の美術マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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親愛なる日本の皆さまへ

パリの南、車で1時間ほどの距離に位置するフォンテーヌブロー宮殿は、ヨーロッパに現存する最も大きな王家の居城のひとつ。ユネスコの世界遺産に登録され、改修工事も終えた今、ヴェルサイユに肩を並べる観光スポットとして大きな注目を集めています。フォンテーヌブロー宮殿は、中世以降、皇帝ナポレオン3世(1808-1873)が失脚する1870年に至るまでの長きにわたって、フランス史の重要な舞台であり続けた場所、と言えば、その魅力の一端をお分かりいただけるでしょうか。歴代の国王、王妃、そして皇帝がここに暮らし、その痕跡が今なお残されているのです。

この宮殿には数々の素晴らしい宝物がありますが、とりわけ第2帝政期(1852-1870)のコレクションについては、近年になって再評価の機運が高まっています。「ナポレオン3世の執務室」や「漆の間」、そして数年にわたる修復工事を経て一般公開されたばかりの「ナポレオン3世の劇場」を案内してくれるガイド付きツアーにぜひ、ご参加ください。この劇場はまさに小さな宝石箱のような空間。決してお見逃しになりませんように。「中国美術室」と「皇后ウジェニー(1826-1920)の執務室 漆の間」は、ガイドなしでも見学できます。

これらの部屋があるのは、正面の中庭の右、「グロ・パビヨン(大棟)」と称される建物。ルイ15世の命によって、建築家アンジュ=ジャック・ガブリエル(1698-1782)が1750年から1754年にかけて建築したものです。

ナポレオン3世と、その美しき妻の皇后ウジェニーは社交好きで、客人を招くために当時流行した異国趣味を凝らして、新しいサロンをつくらせました。それが「グロ・パビヨン」です。1階部分が噴水や鯉の泳ぐ池のある中庭と庭園に面するこの建物が完成すると、フォンテーヌブロー宮殿は廷臣、そして皇后自らが招いた客人らの憩いの場となりました。招待を受けたのは、文学界、芸術界、科学界と各界から選ばれた面々。彼らはW順番にW宮殿で何日かを過ごし、皇帝夫妻と食事や娯楽(コンサート、演劇、池でのボート遊び、森の散歩など)、さまざまなパーティーを共にし、心ゆくまで楽しんだのです。

1860年、中国とのアロー戦争の終わりに、フランス軍は北京の「夏の宮殿」を略奪。フォンテーヌブロー宮殿には、フランス遠征軍が持ち帰った極東の品々が届けられ、さらに翌1861年にはシャム王からの贈り物もあったことから、ウジェニーはフォンテーヌブロー城に「中国美術室」をつくり、これらの品を展示することを望みました。ウジェニーはそれほどまでに、東方の美に魅了されていたのです。延臣や招待客にお披露目するために、1863年の夏前に工事を終わらせるよう皇帝夫妻から命を受けた建築家アレクシ・パッカールは、早急に工事を進めねばなりませんでした。そして皇后自らが指揮を執って、美術品を展示棚に飾り、美術室は完成。皇帝夫妻はしかるべきときに客人を迎え、数多の素晴らしい品々は、客人たちを大いに驚かせたのでした。

Update : 2014.12.1

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