Français 日本語
バイユー・タピスリー美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
informations 3 2 1

Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

本日は皆さまを、灰色の海と緑の丘のあいだに麗しい景色の広がるノルマンディ地方のミュゼへとご案内いたしましょう。この地は、8代目ノルマンディ公、そして1066年から没するまでのあいだイングランド王としても君臨した「征服王ギヨーム(1027-1087)」生誕の地。なかでも、バイユー市は、征服王在りし当時の趣を残す魅惑的な町で、ネスモン邸の建物を利用した市立美術館「バイユー・タピスリー美術館」では、他に類を見ない11世紀の歴史的至宝、イングランド征服を成し遂げたギヨームの武勲と功績を讃えた「バイユーのタピスリー」を見ることができます。

ギヨームによるイングランドの征服は、ヨーロッパ史において、重要な意味を持っていました。フランス王国の拡大を狙うフィリップ1世(1052-1108)が、ノルマンディ奪取を画策していた、まさにそのときに、フランスに敵対するイングランドの王としてギヨームが君臨することになったのですから。「ユネスコ世界記憶遺産」に登録されたこのタピスリーは、歴史上最も古い絵巻物のひとつに数えられています。そこには600人以上の人物と、200頭の馬、41隻の船、数多くの動物たちが描かれています。宗教や神話と関わりのない題材を扱っているところが独自で新しく、それまでの図像の概念を革新した作品でもあり、11世紀のノルマンディとイングランドの生活を写し取った歴史の証人にもなっているのです。
美術館では日本語でのオーディオガイドも用意されていますので、この素晴らしいタピスリーをご理解いただくため、ぜひご利用なさってみてください。

バイユーは、ノルマンディで最も古く、そして往時の街並がよく残された町のひとつです。さまざまな建築文化財がありますが、なかでも最も重要なのは大聖堂(11-15世紀)。ロマネスクとゴシックのあらゆる特徴を見ることができる、中世の宗教建築史の結晶です。

バイユーは、ガロ=ロマン時代(紀元前2世紀から紀元後5世紀)に築かれた町で、古代の終わり頃には、すでに特権的な地位にありました。6世紀からは信仰の中心地となり、やがて司教座都市として権勢を誇るようになります。代々の司教が世俗の権力と密接な関係を持っていたためです。1050年頃、ノルマンディ公ギヨームから、バイユー司教座を託されたギヨームの異父兄弟のオドン・ド・コントヴィル(1036-1097)は、大聖堂を拡張し、1097年のその死に際して、聖別の栄誉を受けています。この司教オドンはヘイスティングスの闘い(1066年)で武勲を立て、ギヨームがイングランド王になるにあたって非常に重要な役割を果たしました。タピスリーの制作に出資し、のちに大聖堂に寄進したのもオドンであったようです。あれほどの作品に出資する財力を備えていたのは彼だけだろうと考えられているのです。

1087年にギヨームが死ぬと、ノルマンディ公爵領をめぐる息子たちの争いが起こり、バイユーの街は荒廃してしまいます。そして1204年、バイユーはほかのすべてのノルマンディの都市とともに、フランス王国の権力下に入ります。その後、フランス対イングランドの100年戦争(1337-1453)が終わると、バイユーの街は再び繁栄。しかし16世紀には、宗教紛争による混乱の影響を受けることになりました。バイユーが中世の城壁を超えて発展するのは、17世紀の初めに街が再び司教たちの手に取り戻されてからのこと。そして、18世紀、中世の城壁が壊されると街は拡張され、美しく優雅な私邸が建ち並ぶようになります。当時の館は今日もなお残されており、タピスリー美術館が入っている古典様式のネスモン邸もそのひとつです。

Update : 2016.12.1

ページトップへ

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。