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バイユー・タピスリー美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。バックナンバーを読む
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エドワード王から約束されたイングランドの王冠を自分の手に取り戻すため、ギヨームはイングランドに攻め入ることを決め、細長く、柔軟で頑丈な、素晴らしい船で編成された艦隊を作るよう命令します。続く場面はその準備です(場面37)。悪天候にもかかわらず、9月27日、1万5千の兵士と、小舟400隻、2,000頭以上の馬を伴って航海は決行されました。

そして、船団はイングランド南部のサセックスに上陸します。ノルマン人たちはヘイスティングスに向かい、そこに陣を敷きます。下僕たちが戦士たちのために肉を下ごしらえし料理を準備します。バイユーの司教であるオドンが食卓を取り仕切り、食事を聖別します。説明文には、ギヨームが彼らの防御のために要塞を築くよう命令を出したとあります。そしてギヨームは勇敢にイングランド軍と闘うよう兵士たちを激励します。タピスリーはノルマンディ人の騎士たちとイングランド歩兵たちの闘いを、戦士としての勇気を強調して描いています。闘うために、戦士たちは同じ鎖帷子をまとい、鼻を守る鼻当てのついた円錐形の兜を被っています。オドン司教は、手に棒を持ち、ギヨームが死なないか心配する兵士たちを安心させ、若い兵士たちを勇気づけます。ハロルドは目を矢に射抜かれて、乗っている馬の首の上に倒れ込み、のちにこの矢のために死ぬことになります(場面57)。イングランド人たちは退散し、敗走します! ハロルドとその軍は1066年10月14日に降伏します。ここで突然、タピスリーは終わっています。未完に終わったのでしょうか。それとも最後の部分は破壊されるか失われるかしたのでしょうか? 歴史家たちの好奇心をそそる謎です。おそらくはウエストミンスター寺院におけるギヨームの戴冠式の場面が、エピローグとして存在したであろうと考えられています。

フランス史とイギリス史を語るときに避けて通ることのできないギヨームの足跡が、その後の何世紀にもわたる影響を残したことは間違いありません。その鉄腕で、このふたつの領土に同時に君臨し、戦士としても統治者としても偉大な人物として伝えられました。また、数々の城と修道院を建造し、素晴らしい文化財を後代に伝えました。
バイユーのタピスリーは、何世紀もの間、粗雑な扱いを受けましたが、今はその価値に相応しい場所で展示されています。現在の展示は、博物館学の非の打ち所がない成果といえましょう。この時代のタピスリーは、ほんの少数が残されているだけなので、バイユーのタピスリーは非常に稀少な価値を持ち、また、ヨーロッパ中世というじつに興味深い時代についてさまざまなことを教えてくれます。
さて、ミュゼを出られましたら、バイユー市が整備した心地よい散歩道を散策なさることをおすすめします。道すがら、街を横切る小さな川沿いに、バイユーの豊かな建築文化財を発見することができるでしょう。

友情を込めて。

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Update : 2016.12.1

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