所長が客人を迎え入れた「貴賓室」は、洗練されたエレガンスを感じさせる空間です。ヴェルサイユ宮殿と同じ寄木の床と18世紀のシルクフラワーで覆われた壁が美しいダイニングルームでは、セーヴルの素晴らしいテーブルウェアで美味しい料理が供されました。客人はここで牡蠣をいただいた後、テーブルを離れたのでしょうね。牡蠣殻、半分になったワインボトル、グラス、椅子の上に置かれたナフキンといった品々が、往時の賑わいを彷彿させます。リーズネルによる象嵌細工のサイドボードは、2019年に共和国大統領府からモビリエ・ナショナルへ寄贈されたものです。そして、角のサロンには、ジャック・ゴンドアン(1737-1818)による金色を基調とした見事な装飾が施されています。ゲームテーブルと座り心地のよいソファ、ゴブラン織の見事なタピスリー《二頭の雄牛》と《ラクダ》があります。なんと温もりのある心地よい雰囲気でしょうか。
コンコルド広場を見下ろすティエリー・ド・ヴィル=ダヴレイ夫人のベッドルームは、緑色のブロケード織の生地が張られた壁と調和のとれたファブリックが、ジャン=バティスト=クロード・セネ(1748-1803)のポーランド風ベッドを際立たせる心地よい空間です。小さな家具やこまごまとした品々が、ここが女性の部屋であることを感じさせます。入り口には、夫人のサック・バック・ガウン(パニエでスカートを膨らませたドレス)が見えます。犬小屋があるということは、夫人は愛犬家だったのでしょうね。小さな事務室兼図書室を通過すると、赤いダマスク織の椅子が置かれたピエール・エリザベート・ド・フォンタニユーの寝室があります。そしてアパルトマンの中で最も親密な雰囲気に満ちた鏡の小部屋へと歩を進めましょう。ジャック・ゴンドアンがフォンタニユーのために設計したこの素晴らしい部屋は、全体が鏡で覆われた空間です。元々は女性の裸体像が浮き彫りにされ彩色されていました。ダヴレイ夫人は、この装飾は大胆すぎると判断し、童子、葉飾り、多色の花飾りなどで装飾されることになったのです。そして、締めくくりは金色の小部屋です。ここにはリーズネル作のふたつの類いまれな家具、フラップ式戸棚がついた書き物机と、「女神のテーブル」と呼ばれる寄木細工と金メッキされたブロンズ製の変形テーブル(ともに1771年)がありますから、ゆっくりとご鑑賞ください。
大階段を抜けると、19世紀に再建され装飾を施された大広間があります。ブルーグレーの装飾が印象的な海軍参謀本部のダイニングルームには、歴代国王の武器や甲冑のコレクションが展示されていました。1843年、かつての家具調度品ギャラリーは、「貴賓室」と「提督の間」のふたつの部屋に分けられたのです。その金箔のなんときらびやかなことでしょうか。「提督の間」では、海軍の足跡を辿ることができます。壁には、ルイ14世の副提督であったトゥルヴィル(1642-1701)やアブラム・デュケンヌ(1610-1688)、ルネ・デュゲ=トルアン(1673-1736)など、アンシャンレジーム期の提督たちの肖像画が飾られています。「外交の間」は、かつて王室の宝石を展示していた場所ですが、宝石コレクションの大部分は現在ルーヴル美術館に保管されています。後に、この部屋は海軍大臣の執務室となりました。
ロッジアで少し足を止めて、世界で最も美しい広場のひとつを望む格別な眺めをお楽しみください。チュイルリー宮殿、エッフェル塔、グラン・パレが一目にご覧になれます。そして、柱や天井に彫刻が施された「天井の間」にもご注目ください。次に、フランス海軍の意思決定機関である海軍参謀総長室です。最後は「黄金のギャラリー」と「軍港のギャラリー」を通って正面階段へと戻ります。
オテル・ドゥ・ラ・マリーヌの改修は大成功を収めたと言えましょう。訪れる人を王宮の雰囲気へと誘い、18世紀のフランスの生活様式を見事に再現して見せてくれます。19世紀から20世紀にかけて次々と付け足されたものを取り除き、元の状態に戻すという選択肢をとることで、宝物の発見に成功したのです。いくつかの場所では22層もの塗装が施されていたというから、驚きです! オテル・ドゥ・ラ・マリーヌは「パリ中心のヴェルサイユ」とも称されています。この名高い建物をよくご覧になり、18世紀と19世紀の世界に浸るためには、展示室のメディテーション・ツールと繋がっているヘッドセットをお借りになることをおすすめします。町に開かれた場所にあるこのミュゼには、レストランも備えられていますから、ぜひお食事もお楽しみになってください。
友情を込めて。
Update : 2022.1.5
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