「どこへ行っても付きまとう。ルパンはわたしの影ではない。わたしがルパンの影なのだ。わたしが小説を書くとき、机に向かっているのはルパンであり、わたしは彼に従うだけだ」
ルパン・シリーズの作者モーリス・ルブランは自身の推理小説の主人公、アルセーヌ・ルパンと自分自身の関係をこう表現しました。ルパンなくしてルブランの小説家としてのキャリアを語ることはできません。ルパン・シリーズの成功は、ルブランの日常を大きく変えるほどに重要な意味を持っていたのです。
ルブランは1864年、ノルマンディー地方の街ルーアン(Rouen)に生まれました。ブルジョワの家庭に育ち、まじめで成績も優秀な子ども時代を過ごした彼は、後にフロベールやモーパッサンに夢中になり、文学の道を志してパリへとやってきます。パリではゾラ(Émile Zola/1840-1902)やゴンクール(Edmond Huot de Goncourt/1822-1896)、ドビュッシー(Claude Achille Debussy/1862-1918)といった、当代一の芸術家たちと親交を持ち、彼らの溜まり場であったモンマルトルの「シャ・ノワール」などの有名なキャバレーに足を運んでいたといいます。
キャリアの初期の頃、ルブランは自然主義文学や心理小説を執筆していましたが、その名が知れ渡るにはまだ時間がかかりました。転機は1905年2月、40歳の時に訪れます。ルブランの友人である編集者ピエール・ラフィット(Pierre Laffitte/1872-1938)が、彼に月刊誌『ジュ・セ・トゥ(Je Sais Tout)』のための推理小説の執筆を依頼したことがきっかけとなりました。推理小説を書くことにあまり乗り気ではなかったルブランですが、彼の気持ちとは裏腹にルパン・シリーズは大きな成功を収めることになったのです。シリーズは1905年から1939年まで30年以上にわたって刊行され、フランスではもちろん、その人気は世界中に広がりました。
エトルタのモーパッサン通りにある「アルセーヌ・ルパンの家」は、ルブランが妻のマルゲリット(Marguerite)と息子のクロード(Claude)とともに20年以上にわたり毎年夏の間を過ごした場所です。蔓棚のある芝生の庭園を抜けると、木々や植物に囲まれた邸宅が佇んでいます。ルブランはここで数多くの怪盗ルパンの冒険を生み出しました。
1941年のルブランの死後、この邸宅は幾度か持ち主が変わりますが、ある時ルブランの孫であるフロランス(Florence Boespflug)に買い取られ、ルブランの作品を偲ぶ記念館へと生まれ変わることになります。1999年に開館した「アルセーヌ・ルパンの家」はユーモア溢れる演出の数々が魅力の文化スポットとして、子どもから大人まで多くの観光客を迎え入れています。
- 所在地
15 rue Guy de Maupassant 76790 Étretat - Tel
+33(0)2 35 10 59 53 - Fax
+33(0)2 35 28 47 60 - URL
http://www.arsene-lupin.com/ - 開館時間
4月1日〜9月30日:10:00-17:45
10月1日〜3月31日: 土・日曜日の11:00-16:45
*フランスの学校の休暇期間中は上記の開館時間で平日も開館 - 休館日
1月1日、12月25日 - 入館料
一般:6.75ユーロ
6〜16歳:4.25ユーロ
*入館料にはオーディオガイド代含む - アクセス
パリSaint-Lazare駅からLe Havre駅まで電車で約2時間、Le HavreよりFécamp行きのバスでHôtel de Ville d'Étretat下車
- B1Fインフォメーション・センターでは、アルセーヌ・ルパンの家のカタログを閲覧いただけるほか、パンフレットをご用意しています。

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