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19世紀、ブルターニュ特有の光に魅せられ、この地を枯れることのないインスピレーションの源だと感じた多くの芸術家たちが、ポンタヴェンに移り住んでまいりました。つましい暮らしを望んだゴーガン(1848-1903)は、1886年にポンタヴェンを訪れてグロアネクで借家住まいをするようになります。彼と彼に引寄せられたセリュジエやモーリス・ドニというような若い芸術家たちが始めたのが、「ポンタヴェン派」という画派でした。さらにゴーガンは、エミール・ベルナール(1868-1941)とともに新しい美術理論「総合主義」を唱えます。鮮やかな色、単色塗り、単純化した輪郭や形、日本の浮世絵のように空間の広がりを感じさせる構成などを特徴とするこの理論は、近代芸術の最初の一歩と捉えられています。 |
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▲カンペールの通り。
©A. de Montalembert |
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▲エミール・ベルナール
《ブルターニュの女の習作》 1888年頃
油彩, 81 x 54cm
オルセー美術館からの委託品
©musée des beaux-arts, Quimper |
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この理論を完璧な形で表したのが、エミール・ベルナールの《ブルターニュの女の習作》(1888頃)でしょう。現実離れした色彩を用いて三段階に区切られた画面には、ある余白が感じられるのです。前景には伝統的な髪形のふたりのブルターニュの女性が描かれていますが、フレームに切り取られ全体像を見ることはできません。また、中景を見てみると、この絵はビニウーの音色に合わせた伝統的な踊りの様子を描いたものなのかもしれません。
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残念ながら、この美術館にはゴーガンの作品があまりありませんが、そのひとつが見事に様式化された《がちょう》(1889)です。石膏に描かれたこの作品は、かつてはプールデュの海岸にあるマリー・アンリの宿屋の食堂に飾られていたそうです。ゴーガンは人が多くなったポンタヴェンを避け、1889年に小さな漁村プールデュに住まいを移したのです。そうして、他の画家たちが描いた作品が飾られた宿屋の食堂に、ゴーガンのこの地味な一枚が加えられたのです。
ポンタヴェン派は1886年から1894年までのおよそ10年間しか続きませんでしたが、国際的な評価を得ました。小さな村にすぎなかったポンタヴェンは世界にその名を知られることとなり、今でも訪れる人が後を絶ちません。
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▲ポール・ゴーガン
《がちょう》1889年
石膏に油彩, 53 x 72 cm
©musée des beaux-arts, Quimper |
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▲ポール・セリュジエ
《キリストの受肉(もしくは聖なる森)》1891年
油彩, 91.5 x 72 cm
©musée des beaux-arts, Quimper |
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ポンタヴェン派の教えはセリュジエによって受け継がれ、ナビ派の誕生を促しました。このミュゼでもモーリス・ドニやジョルジュ・ラコンブ、シャルル・フィリジェールなどの作品とともにナビ派についてはよく紹介されています。ミュゼが所蔵する8点のセリュジエのなかでも傑作の誉れ高いのは《キリストの受肉(もしくは聖なる森)》(1891)ですが、よりわたくしの好みにあった作品といえば《ブルターニュの若い女と壺》(1892)でしょうか。背景の描写に日本美術の影響が見られる一枚です。シャルル・フィリジェール(1863-1928)で素晴らしいのは《プールデュの風景》(1892頃)でしょうね。館内にはフィリジェールのほかの作品もありますが、いずれもひと目で浮世絵の影響が見て取れるものばかりです。 |
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ブルターニュのある芸術家へのオマージュとして作られた展示スペースもあります。カンペール生まれの詩人にして画家マックス・ヤコブ(1876-1944)です。シュルレアリスムの先駆者でキュビズムの画家たちとの交流でも知られています。彼が辿った運命に、わたくしは強い感銘を受けました。第二次世界大戦の折、彼はカトリックに改宗していたものの、ユダヤ人としてナチス・ドイツに拘束され、収容所でその生涯を終えてしまうのです。彼は、その生涯を通じて郷里ブルターニュの地、そしてブルターニュの友人たちとの繋がりを大切にしていました。展示室では、デッサンやグワッシュ、写真、手記、そしてピカソやコクトーといった友人たちの作品を通じて、マックス・ヤコブの生涯と芸術家としての奇跡を辿ることができます。
ブルターニュはいまだ美しい自然が残された地。今回の旅を通じて、わたくしはそのことを実感いたしました。皆さまに是非おすすめしたいのは、ベノデからカンペールへと向う観光船の旅。船は川岸に美しい地所を望みながら上流へとのぼっていきますが、なかにはかの有名なヨット・レーサー、エリック・タバリー(1931-1998)が所有していた農場もあります。タバリーは1969年、ロサンゼルス−東京のシングル戦で優勝した人物です。
花がお好きな方は、オデ川沿いにあるブティグリー公園へお立ち寄りになってみてください。とりわけ、公園中で花々が咲き乱れる春の美しさは格別です。これもすべて、世界中の植物を愛する人々のためにと、アザレアやシャクナゲを交配させたひとりの男性の情熱の賜物なのです。皆さまもここを訪れたら、その情熱を感じていただけることと思います。これだけの花々、丹精込めて育てられたに違いありません。
ブルターニュ南部でご宿泊先をお探しでしたら、客室を備えた壮麗な古城、ギルギファン城をお勧めします。すばらしいセンスでこの城を改装した城主のダヴィー氏は、皆さまを温かく迎え入れ、お城の改装にまつわる四方山話でもなさることでしょう。
皆さまがブルターニュで楽しいひとときを過ごされることを心から望んでいます。
友情をこめて。
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▲中世の家並みの残るカンペールの町。
© A.de Montalembert |
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▲テオドール・シャセリオー
《カバリュス嬢の肖像》1848年
油彩, 134.5 x 98 cm
©musée des beaux-arts, Quimper |
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▲カンペール美術館の入り口。
©A. de Montalembert |
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