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▲林忠正が初渡仏する契機となった1878年のパリ万国博覧会の様子。
(C) RMN - ©Jean-Gilles Berizzi |
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さて、林忠正がパリに着いたのは1878年のことです。その年にパリで万国博覧会があり、それに出品する起立工商会社という一種の貿易会社の社員・通訳として渡仏したのでした。林は、1853年に今の富山県高岡市に医師の子として生まれ、明治維新の直後に東京に出て、開成学校、東京大学などでフランス語を中心に勉学に励みました。彼のような立場の者の多くが政府の役人になることをめざしたものでしたが、林はフランスに行きたいという一心で、万博に参加する起立工商会社に入社し、渡仏を果たしたのでした。
この時の万博の日本からの出品物は大変な注目を浴び、フランスでジャポニスム(日本趣味)が盛り上がる重要な契機となりました。印象派の何人かは後年、日本の展示場においてフランス語で熱心に見学者に説明をする日本人の若者のことを回想していますが、それが林だったのです。 |
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林忠正は1878年のパリ万博が終ったあとも現地に残り、出品物をフランスなどで売りさばく仕事をしました。やがて1880年代前半にパリで、画商としての活動を始めます。林の仕事はしたがって、フランスに日本美術を広めることから始まっていたのです。パリの日本美術愛好家たちに、流暢なフランス語で日本美術について正確な知識を与えることのできた、ほとんど唯一の日本人が林だったのです。 |
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