オーマル公は、1822年に、フランス最後の王となるルイ=フィリップ(Louis-Philippe)の5番目の息子として生まれます。大伯父にあたるブルボン公(Duc de Bourbon)の突然の悲劇的な死により、公は僅か8歳でシャンティイ城を相続します。
長い歴史を持つこの城の礎(いしずえ)を築いたのは、14世紀のフランスの大法官、ピエール・ドルジュモン(Pierre d'Orgements)です。16世紀にはアンヌ・ド・モンモランシー大元帥(connétable Anne de Montmorency)の手に渡り、モンモランシー大元帥のもうひとつの城、エクアン城の改装を担当した建築家、ジャン・ビュラン(Jean Bullant)の手で増築が行われます 。その後、モンモランシー家との婚姻により親戚となったブルボン=コンデ(Bourbon-Condé)家が、19世紀までシャンティイの城を守り続けます。
長い歳月をかけてその形が出来上がった城も、フランス革命の打撃を逃れることはできませんでした。城の大部分は破壊され、内部にあったコレクションや調度品は売りに出されるか、政府に接収されてしまいます。1815年にナポレオンの帝政が倒れ、王政復古の時代になって、城はブルボン=コンデ家の所有に戻ります。しかし、度重なる政権交代のため、改修工事が本格的に着工するのは、オーマル公が20年以上にも及ぶイギリスでの亡命生活の後、フランスに帰国するのを待たなければなりませんでした。