03.日本とアンリ・チェルヌスキ〜旅、コレクション、美術館〜 コンデ美術館−シャンティイ城 フォンテーヌブロー城美術館
コンデ美術館−シャンティイ城
シャンティイ城 の誕生   フランス最後の 王の息子   新ルネサンス 様式の城   珠玉の 美術コレクション
イギリスでコレクションを築いたオーマル公
▲フランス国立図書館に次ぐ写本のコレクションが収まる図書室。
© Martine Savart
 情熱、学識、毅然たる態度、財力、立派な城主たる者に必要な四つの美徳をすべて兼ね備えていた、と言われるオーマル公。革命後、廃墟と化していく城があまたある中、シャンティイが彼の手中に落ちたのは幸運であったというしかありません。成人した若き王子は、自由になる財産ができるや否や、シャンティイ城の改築計画を進めます。しかし、ナポレオン3世による第二帝政が始まると、王室の人間である彼は危険を逃れるため、イギリスに亡命しなければなりませんでした。
 当時まだ20代であったオーマル公は、そのエネルギーを収集と研究に捧げます。
 19世紀前半のイギリスには、度重なる政権交代から逃れたフランス貴族が多く住んでいました。また、革命後に売却された貴族のコレクションや調度品の買い手は、近い過去にあまり興味を示さないフランス人よりも、むしろ隣国のイギリス人が大部分を占めていました。よって、当時のイギリスは、18世紀以前のフランスの一流コレクションに由来する美術品の、宝庫だったのです。
▲ルイ15世式とルイ16世様式でまとめられた大居室の内装。左奥の箪笥は18世紀を代表する家具職人、リズナーがルイ16世のために制作したもの。
© Martine Savart
▲世界一美しいと言われる装飾写本、《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》。背景にあるのは中世のルーヴル宮殿。
▲世界一美しいと言われる装飾写本、《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》。背景にあるのは中世のルーヴル宮殿。
© RMN / René-Gabriel Ojéda
 ヨーロッパにおいて、美術品収集が一般化し、私たちが現在使う意味での「コレクション」の概念が普及するのは19世紀のことですが、それはこのような政治的背景によるところが大きかったのです。
 たいへんな美術愛好家であり書物愛好家であったオーマル公は、ヨーロッパ中の大きなオークションを巡り、精力的に収集活動を行います。と同時に、愛するシャンティイに関する古文書も取り寄せ、長い亡命生活の間に、『コンデ公爵家の歴史』を執筆します。その期間中に亡くなった父、ルイ=フィリップや兄弟、親族のコレクションのなかにも、オーマル公のコレクションに収蔵されたものもあり、1871年にフランスに帰国した際には、その収集品は質、量ともに第一級の個人コレクションとなっていました。

文:中澤理奈(Lina Nakazawa)
写真:美術館提供、中澤理奈、RMN

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コンデ美術館−シャンティイ城
所在地
Château de Chantilly - Musée Condé
BP 70243
Tel
+33(0)3 44 27 31 80
URL
http://www.chateaudechantilly.
com/
開館時間
<2011年4月2日-11月1日>
10:00-18:00
<2011年11月2日-2011年3月末>
10:30-17:00
休館日
火曜日
入館料
一般:10ユーロ
割引料金:7.5ユーロ
17歳以下:無料

アクセス
パリ北駅(Nord)からコンピエーニュ方面の列車に乗り(SNCFで27分、RERで45分)シャンティイ・グーヴュー駅(Chantilly Gouvieux)下車、タクシーで約10分。


MMFで出会えるコンデ美術館
MMFインフォメーション・センターでは、コンデ美術館‐シャンティイ城のカタログをご覧いただけます。
また、パンフレットもご用意しています。


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