1900年6月29日、サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)は5人兄弟の3番目としてリヨンに生まれました。貴族出身の裕福な家庭に生まれた彼は、家族の所有している美しい城館で幼少時代を過ごすなど、恵まれた環境で育ちます。à
![]() © Succession Antoine de Saint-Exupéry-d'Agay |
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パリでの数年間の寄宿生時代を経て、20歳になったサン=テグジュペリは兵役に就きます。1921年にストラスブールの航空隊に配属され、同年に操縦士の免許を取得しました。1923年に軍を除隊した後は民間の企業を転々としたのち、航空郵便の草分けの会社に飛行士として就職します。そして仕事の傍ら執筆活動を始め、飛行士の経験を元に書いた『南方郵便機』(1929年)、『夜間飛行』(1931年)で大きな成功を収めるのでした。
サン=テグジュペリは生涯、飛行士と小説家の2つの顔をもち続けます。第二次世界大戦中の1943年、亡命先のアメリカからフランスへ戻り、自ら志願し軍の飛行士として復帰をします。それは初めて『星の王子さま』がアメリカで出版された直後のことでした。フランスでも終戦後の1946年に『星の王子さま』が出版されますが、自国での作品の成功を作者が知ることはありませんでした。なぜなら1944年7月31日、偵察機に乗り込み、コルシカ島のボルゴ(Borgo)基地から敵地へと飛び立ったサン=テグジュペリは、その後消息を絶ち、再び戻ってくることはなかったからでした。

© Gallimard
『星の王子さま』はフランスで学校の教材にも使用されるなど、フランス人の大半が幼い頃から日常的に親しむたいへんポピュラーな作品です。その人気は出版から60年以上経った今も全く衰えることはありません。2006年にはフランスにおける『星の王子さま』の出版60周年を記念して、複数の雑誌がサン=テグジュペリに関する特別号を出しました。2007年にはジョアン・スファール(Joann Sfar)のイラストによる漫画版が出版され、フランスで10万部を売り上げています。また最近では、挿絵が立体的に飛び出すポップアップ付きの大型版のエディションがガリマール社より出版されました。スタンダードなエディションはもちろん、こうしてスタイルや形を変えながら『星の王子さま』が今もフランスで出版され続けているのは、作品の人気の高さを裏付けています。
その人気は出版物だけに留まらず、フランスでは、『星の王子さま』やサン=テグジュペリに関する文化イベントが頻繁に行われています。現在も大規模な展覧会の開催など、いくつものサン=テグジュペリに関するプロジェクトが進行中です。サン=テグジュペリの多方面での才能は、様々な文化活動を通して、フランスだけでなく世界中の人々をこれからも魅了し続けていきます。
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▲世界各国で翻訳されている『星の王子さま』 © Succession Antoine de Saint-Exupéry-d'Agay |
▲サン=テグジュペリによる星の王子さまのイラスト。 © Succession Antoine de Saint-Exupéry-d'Agay |
増田葉子(Yoko Masuda):明治大学文学部史学地理学科卒業後、パリ第4大学(ソルボンヌ大学)で美術史学を専攻し、修士課程修了。専門は19世紀後半の装飾美術、主にジャポニスム。
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- MMFのB1Fインフォメーション・センターでは、サン=テグジュペリと『星の王子さま』に関する書籍を閲覧いただけます。

- MMFブティックでは、星の王子さまグッズをお求めいただくこともできます。
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