
サン・ジェルマン・デ・プレ界隈の歴史は6世紀まで遡ります。当時のパリ司祭だったゲルマヌス(Germanus)は、イベリア半島の遠征からメロヴィング朝キルデベルト1世(Childebert Ⅰ)が持ち帰った貴重な聖遺物を保管するために、教会堂の建設を国王に提案しました。

© ATOUT FRANCE / Benoît Roland
そして542年、「聖十字架と聖ヴィセンテ」の名を持つ教会堂が完成。教会堂が修道院になった9世紀からは、教会堂の生みの親でこの地に眠るゲルマヌスのフランス読みの聖人名にちなんで「サン・ジェルマン」と呼ばれるようになったのです。やがて、サン・ジェルマンの棺の前で祈りを捧げると奇跡が起こるとのうわさが広まり、各地から巡礼者が集まるようになりました。修道院は栄え、しだいに領地を広げ、ついには修道院を囲むようにして町が形成されました。
しかしフランス革命の頃になると、繁栄を極めた修道院にも時代の荒波が押し寄せます。革命後、修道院は破壊され、修道士たちは処刑されました。そして修道院内の図書館に所蔵されていた5,000冊の書物と7,000枚の直筆資料は没収の憂き目にあうことになります。しかし歴史的建造物に価値を見出し、保存運動が盛んになった19世紀以降、度重なる修復を経て、パリ最古のロマネスク建築の姿を留める現在の形となりました。

この教会の北側にあるのが、ロマン派の巨匠ドラクロワ(Eugène Delacroix)が晩年を過ごした住まい兼アトリエです。ここは現在ウジェーヌ・ドラクロワ美術館として一般に公開されています。
またサン・ジェルマン・デ・プレ教会の東側の学生街カルティエ・ラタンには、6枚の連作タピスリー≪貴婦人と一角獣≫やガロ=ローマ時代の大衆浴場跡が見られるクリュニー中世美術館、作家ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)や哲学者ヴォルテール(Voltaire)などの偉人が眠るパンテオンがあります。
さらにサン・ジェルマン通りの222番地には2004年に開館したばかりの書簡と直筆博物館があり、中世から第2次世界大戦までの書簡・直筆資料が保管されています。マリー=アントワネット(Marie-Antoinette)やナポレオン1世といったフランスの歴史を語る上で欠かせない人物の書簡から、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の楽譜や詩人コクトー(Jean Cocteau)のデッサンなど、幅広い分野で活躍した偉人たちの筆跡に触れることができます。