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イヴ・サンローラン美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

本日は皆さまを、昨秋10月3日にオープンしたばかりの、イヴ・サンローラン美術館へとご案内いたしましょう。サンローランのミュゼとなったのは、1974年から2002年までメゾンの本社が置かれた、ラルマ地区(8区)のナポレオン3世様式の邸宅。すでに美術館としての機能を備えていましたが、この度、ピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン財団によって完全に改装し直され、その扉を新たに開くこととなったのです。ピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン財団は、2002年、サンローランのメゾンが閉鎖された際、およそ半世紀にわたってモード界で絶大な影響力を持った、世界でもっとも有名な服飾デザイナーのひとりであるイヴ・サンローラン(1936-2008)の作品を保存し、その威光を守るために設立されました。サンローラン自らが保存すべき作品を選んだ財団のコレクションは、まさに20世紀の歴史の一部。ピエール・ベルジェ(1930-2017)とイヴ・サンローランがつくりあげた、3万5,000点のデッサン、布製品、アクセサリーからなる膨大なコレクションです。

「ミュゼ・ド・フランス」の称号を得たこの新しい美術館は、服飾デザイナーに捧げられた初めての美術館です。美術館の目的は、サンローランのコレクションの重要な作品を、それが生み出された場所に展示することで、サンローランの創作をフランスの文化遺産のひとつとして組み入れること。そして、メゾンの家族的な雰囲気を甦らせつつ、来館者がサンローランの作品を全体として把握すること、サンローランやそのチームの仕事をよりよく理解することを可能にしているのです。

イヴ・サンローランは1936年、フランス領アルジェリアのオランに生まれ、幼少期をその地の家で女性たちに囲まれて過ごしました。デッサンの才能に恵まれ、1955年にパリに出ると、クリスチャン・ディオール(1905-1957)のアシスタントの職を得て、1957年にディオールが突然亡くなると、サンローランがその跡を継ぐことになります。若干21歳、サンローランは一夜にして世界にその名を知られたもっとも若い服飾デザイナーとなったのです。そして1960年、サンローランは自身のメゾンを設立するため、名高いディオールのもとを離れ、翌61年に自らの名を冠したメゾンをオープンさせました。その背景には、彼のパートナー、ピエール・ベルジェの愛と支えがありました。ふたりのパートナーシップは今や伝説的ですが、イヴはクリエーション、ピエールはマネージメントを担い、力を合わせてメゾンを発展させていきました。メゾンのコレクションは、毎シーズン、大きな成功を収めました。

女性の解放、そして社会進出と時を同じくして登場したサンローランは、モードの古い規範を完全に断ち切ります。女性に男性の衣服を着る権限を与えることで、女性に自信と力を授けたのです。 1966年秋冬コレクションの「スモーキング」、1968年春夏コレクションの「サファリジャケット」、1968年秋冬の「ジャンプスーツ」といったサンローランのアイコンとなる作品は、美術館の1階の黒い壁の薄暗い部屋に入るとすぐに目に入ります。しかし、照明によって私たちの注意を引くのはモデル(型)の展示です。右手には、サンローランの最初のオートクチュールコレクション、1962年春夏コレクションの代表的な作品がいくつかあるのが分かります。春夏コレクションは1月に、秋冬コレクションは7月に発表され、毎回100点ほどの作品とアクセサリー類からなり、すべてサンローラン自身によって選ばれています。また、朝から晩までの1日のそれぞれの時間に合った服があるということにも注目しましょう。とりわけ、マリンブルーのウール地の「最初のピーコート」は、もともと船乗り用の外套で、サンローランはそれにアクセサリーのような大きな金ボタンをつけて女性らしさを出しています。シンプルなものを好むサンローランの趣向は、1962年のスカートスーツの無駄を削ぎ落した直線的なカットから、1962年秋冬の丈の短いイブニングドレス「ノルマンディーのブラウス」のようなフォーマルなドレスまで、あらゆる作品に表れています。

Update : 2018.2.1

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