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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

TGVでパリから2時間、フランス西部、大西洋岸のロワール川沿いに位置するナント市は、フランスで6番目に大きな町。活気のある暮らしやすい町として知られています。939年から1547年まではブルターニュ公国の首都が置かれるなど歴史的にも重要な地で、歴代のブルターニュ公(13-16世紀)の居城となった壮麗な城は2007年よりナント市歴史博物館として市民に門戸を開いています。また、文化においても存在感を放っていますが、その中心的役割を担うのが、アーティストたちが町中に作品を展開する毎夏のアート・イベント「ナントへの旅」、そして本日皆さまをご案内するナント美術館です。

ナント美術館は旧市街、城と聖ペテロ・聖パウロ大聖堂(1434-1891年)、植物園との中間に位置しています。大規模な工事を経て、2017年6月に改修が完成すると同時に、「Le Cube(ル・キューブ)」と呼ばれる現代アートのための別館も新設されました。もともとの美術館の建物から少し奥まったところに建てられたル・キューブは、周囲の環境に完璧に馴染んでいます。新たな作品を加えながら拡張を続けているコレクションは、13世紀から21世紀までのフランスとヨーロッパの芸術の主要な動向を概観することができるものです。

このミュゼは、1801年にナポレオン・ボナパルトによって設立されました。皆さまご存知の通り、革命期に没収され、国有化された貴族や教会の財産には、膨大な数の美術品が含まれていました。ナント美術館は、その中からルーヴル美術館に入りきらなかったものを受け入れることでその礎を築いたのです。また、1810年、美術館は、数々の傑作を収集した外交官フランソワ・カコー(1743-1805)のコレクション(絵画1155点、彫刻64点)を買い取ります。このコレクションは、現在でも美術館の目玉となっているジョルジュ・ド・ラ・トゥールの3点の絵画のほか、カコーがイタリアから持ち帰った、ペルジーノをはじめとするルネサンス期の傑作を含む素晴らしい作品群です。その後、1830年以降、美術館のコレクションは多様化し、ドラクロワ、アングル、クールベといった同時代の作家の作品を次々と購入していきます。そして次第に増えてゆくコレクションを展示するため、新しい美術館がつくられることとなりました。設計を手掛けたのは、ナントの建築家クレマン・マリー・ジョッソ(1853-1928)です。1900年に開館したこの建物は19世紀の美術館に典型的な構造をしています。ガラス天井のあるパティオを中心に、その周りに展示室が配置され、入り口には大きなエントランスホールと巨大な階段があります。イオニア式円柱の並ぶ堂々としたファサードは、美術館前広場の再整備のおかげで見違えましたが、中でもファサード前の鉄柵を取り払うことで、美術館へのアクセスが格段に良くなったことは特筆に値することといえましょう。

イギリスの建築事務所スタントン・ウィリアムズによる改修と新しい建物の建築によって、1900年の建物はその美点が引き立てられたわけですが、さらにル・キューブを通って、特別展を開催する白い美しいバロック建築の礼拝堂と繋がりました。ル・キューブは4階建ての優美な建物で、2階が宙に浮いた渡り廊下で旧館と繋がっています。通路の外壁は半透明の薄い大理石板と合わせガラスでできており、内部には柔らかな光が広がります。町に向かって開いた大きな窓はこの建物の特徴。道ゆく人々が館内のコレクションを垣間見ることのできる構造になっているのです。

旧館の1階には、イタリア・プリミティフ派絵画から18世紀末までの作品が年代順に展示されています。最初の展示室にあるペルジーノ(1445頃-1523)の作品は、預言者《イザヤ》と《ダヴィデ》(15世紀)が、《聖セバスティアヌスと聖フランチェスコ》(15世紀末)を取り囲むという3枚からなる作品で、もともとは祭壇画の一部であったと考えられているものです。中でも《聖セバスティアヌスと聖フランチェスコ》は見事な一枚。念入りに整えられた金色の背景に、殉教者聖セバスティアヌスの像が浮かび上がり、手にした矢は彼が矢に射られて殉教したことを暗示しています。オレンジ色のジュストコール(短いコート)に緑色のビロードのケープが暖かみのある階調で調和し、繊細な髪が顔を柔らかく縁取っています。

Update : 2018.6.1

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