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フォンテーヌブロー城のナポレオン美術館マダムの連載の一部(10館)は書籍でもお楽しみいただけます。 バックナンバーを読む
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Chers amis,親愛なる日本の皆さまへ

本日は皆さまをナポレオン美術館へとご案内いたしましょう。パリの南東、歴代王族の狩猟地だった森の只中に立つフォンテーヌブロー城にあるミュゼです。近年、大規模な寄贈を受けてコレクションが再編成され、リニューアルされた展示が素晴らしいのです。

フランスの歴代国王の住居だったフォンテーヌブロー城には、ナポレオン(1769-1821)による痕跡が随所に残されています。ナポレオンが実際にこの城に滞在したのはわずかでしたが、この城は帝政の至宝のひとつ。フォンテーヌブロー城の歴史は、帝政の歴史と切り離すことはできないのです。正面前庭の有名な馬蹄形階段ひとつとっても、この階段の下で、古くからの親衛隊に感動的な別れを告げたというナポレオンにまつわるエピソードに彩られているのですから。

ナポレオンの一族からの寄贈を受けて(1979-1988)、1986年に設立されたこのミュゼは、かつてルイ15世の居室のあった翼の2階にあります。内装は帝政期のもの。ナポレオンやその周辺の人々が所有していた肖像画、家具、美術品からなるコレクションは、豪華絢爛たる帝政期の美を物語る素晴らしいもの。そして、皇帝ナポレオンの人となり、そして短期間で権力の頂点に上り詰めたその業績をたどりつつ、ナポレオンの「システム」がどのように機能したのかを知ることができるのです。

今回わたくしは、フォンテーヌブロー城のベイエラ氏に解説していただきながら見学する機会に恵まれました。ベイエラ氏は、今回の新たなコレクションの取得と展示の改変を主導した、チーフキュレーターです。

1804年5月18日、ナポレオンは元老院決議を受けて「フランス国民の皇帝」であることを宣言、同年12月2日、教皇ピウス7世によりノートルダム大聖堂にて皇帝として聖別されました。皇帝として君臨したのは、1804年5月18日から1814年4月6日までのおよそ10年間、そして再び政権を取り戻そうとした1815年3月20日から1815年6月22日、いわゆる「百日天下」と呼ばれる期間です。軍事に長け、ヨーロッパ各国(イタリア、オーストリア、プロシア、ポーランドなど)を征服したナポレオンは、1810年にはヨーロッパの支配者となり、兄弟たちをさまざまな王国の国位につけました。フランス領土は1812年には134の県を数え、これまでにないほど大きくなりました。しかし、彼の政治は強い反発にあいます。ヨーロッパで結成された反ナポレオン同盟は数々の戦線で勝利。1814年にパリが陥落すると、ナポレオンは退位し、トスカーナ沖のエルバ島に追放されました。帝国を再建する希望をもってそこから脱出しますが、1815年6月18日、ワーテルローの戦いに敗れます。そして幽閉された南大西洋のイギリス領セント・ヘレナ島で亡くなりました。遺体は1840年フランスに返還され、パリのアンヴァリッドに葬られました。

フォンテーヌブロー城を、皇帝の住居にしようとした皇帝ナポレオンは、数々の改装工事を行い、新たな家具を取り揃えました。というのも、城はフランス革命期に被害を被っていたからです。ナポレオンは、正面前庭を閉ざしていたルネサンス期の建物を取り壊し、1809年から翌年にかけて、現在の鉄柵の門に置き換えます。ふたつの柱には皇帝のシンボルである鷲、ピラスター(付け柱)にはナポレオンの頭文字である「N」のモノグラムが描かれているのをご覧ください。

ナポレオンは、建築家ピエール=フランソワ=レオナール・フォンテーヌ(1762-1853)に改装工事を依頼しますが、聖別式のためにパリにやってくる教皇がここに3日間滞在することになっていたので、それに間に合わせるために急いで工事を進める必要がありました。1807年、延臣とともに2ヵ月間ここに滞在したナポレオンは、ここに執務室を置き、オーストリアやイタリア王国をはじめとする国々との数々の条約にサインしました。翌年は、狩猟の時期にここに滞在しましたが、この時、後継者を授かることのなかった皇后ジョゼフィーヌに離婚を宣告。その2年後新しい妻、オーストリア皇女でマリー=アントワネットの孫娘、未来の将来ローマ王(1811-1832)の母となるマリー=ルイーズ(1791-1847)が2ヵ月間ここに滞在しています。1812年には、意見が対立したローマ教皇を逮捕し、1814年1月までこの城に幽閉。同年、パリが陥落するとナポレオンはフォンテーヌブロー城に逃れ、ここで退位することになります。流刑先のエルバ島から戻った際にも、この城に数時間留まりました。

皇帝の田舎の別荘という位置付けだったフォンテーヌブロー城は、権力の象徴ともなりました。2階の大回廊は、かつてヨーロッパ各国の王位を与えられた一族の肖像のための空間。見るものをその威厳で圧倒する肖像画の向かいには、それぞれの人物の胸像が置かれています。一族の肖像の冒頭を飾るのは、フランソワ・ジェラール(1770-1837)による《皇帝にして王の母上》(1805年以降)。ナポレオンの母親(1749-1836)の肖像画で、タイトルはナポレオン自身がつけました。威厳のある姿で座り、ティアラには息子の横顔が描かれています。続いては、同じくジェラールによる兄弟たちの肖像画です。まずは《スペイン王ジョゼフの肖像》(1809-1810年)と《帝国の皇子の衣装を身につけたルイ=ナポレオン》(1806年)。剣に手を置き、豊かに刺しゅうされたフランス王子の白い正装に身を包んだルイ=ナポレオンの姿はじつに見事で、まさに傑作と言えましょう。

Update : 2019.4.1

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