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マキシム美術館 バックナンバーを読む
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▲アール・ヌーヴォーの美術品が並ぶ館内の様子。
©J. Faggiano
親愛なる日本の皆さまへ

今回、皆さまをご案内するのは、パリの中心部、マドレーヌ広場とコンコルド広場の間に位置するマキシム美術館。18世紀末にはリシュリュー公(1766-1822)が所有し、今では歴史的建造物に定められている建物、皆さまもよくご存じのレストラン「マキシム」の上階、4階と5階にあるミュゼです。ここは、有名な服飾デザイナーで、アール・ヌーヴォーの熱烈な愛好家でもあるピエール・カルダンの「コレクション1900」を所蔵するとともに、ベル・エポックの高級娼婦の豪華なアパルトマンが再現されています。つまり、類い稀なる独創性をもつ12の部屋に、カルダンが60年を超える歳月をかけて収集した、1890年から1910年の550点もの美術品が展示されているのです。


▲ロワイヤル通り沿いにたつ美術館。奥に見えるのはマドレーヌ教会
©A. de Montalembert

▲装飾の美しいファサード
©A. de Montalembert

建物にお入りになる前に、ロワイヤル通りからレストランのファサードの素晴らしい装飾をご覧になってみてください。花や植物といったモチーフ、そして曲線が特徴の「ヌイユ様式」が見事です。そして、一歩足を踏み入れるとそこは、赤い布の貼られたエントランスホール。レストランと上階の両方へ繋がるこの空間から、祝祭と狂乱の街パリらしく、華やかでめくるめくパーティーが夜ごと催されていた、伝説の時代のマキシムへの旅が始まります。


▲アール・ヌーヴォー様式のマキシムのバー
©A. de Montalembert

燕尾服を着た紳士たちが、セクシーなローブデコルテに宝石で着飾ったエレガントで美しい婦人たちを連れて歩く姿が容易に想像できませんか。マキシムを舞台に繰り広げられた「世紀末」社交界の様子は、劇作家ジョルジュ・フェドー(1862-1921)の作品『マキシムからきた女』(1899年)にユーモアたっぷりに描かれています。登場人物の「クルヴェット娘」は、「ココット」と呼ばれた軽はずみな若い女性の象徴です。実際、享楽を好んだ裕福なブルジョワたちは、観劇の後、マキシムのバーでこうした女性たちと待ち合わせし、レストランで遅い夕食をとったのでした。美術館の見学にいらっしゃれば、ガイドの方が、当時のこうした軽佻浮薄な風俗を、数々の面白いエピソードとともに話してくれるでしょう。

1900年にパリで万国博覧会が開かれると、流行にのってその見物に訪れる裕福な客たちの関心をひくために、当時のマキシムのオーナー、ウジェーヌ・コルニュシェは、エミール・ガレ(1846-1904)とルイ・マジョレル(1859-1926)を中心とするナンシー派の芸術家たちにバーとレストランの装飾を依頼しました。自然への回帰を謳い、植物の世界から着想を得たガレとマジョレルは、当時、フランスのみならず国外の美術界にも大きな影響を及ぼしていました。ここでは照明器具、カーペット、コーニスが、図案化されたマロニエの葉で装飾されています。銅のオーナメントや鏡などにも、いかにもナンシー派らしい、曲がりくねったアラベスク文様があしらわれています。


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