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パリ右岸の美術散策

聖なる巡礼地から 芸術家たちの揺り籠に

 1860年にオスマン男爵(Georges-Eugène Haussmann)によって都市改造計画が着工されるまで、モンマルトルはパリ郊外と見なされていました。中世には、聖ドニ(Saint Denis)がこの地で斬首刑に処せられ殉教したことから、重要な巡礼の地として知られていました。また19世紀までこのエリアは、ベネディクト修道会の保護のもとにあり、この地のシンボルはブドウ畑と風車でした。現在、地下鉄アベス駅に面するアベス広場の名は、かつてモンマルトルにあったベネディクト会の修道院に由来します。普仏戦争の敗北を受けて1870年にパリ・コミューンが蜂起した際、その拠点となったのもこのモンマルトルです。

 19世紀の終わりになると、画家をはじめとした芸術家たちが安い下宿屋を求めてこの小高い丘に集まってきました。ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)やドガ(Edgar Degas)、セザンヌ(Paul Cézanne)が移り住み、ピカソ(Pablo Picasso)はこのモンマルトルで、のちにキュビズムの代表作となる≪アビニヨンの娘たち≫を描きました。

白亜のサクレ・クール寺院がそびえるモンマルトル。
© ATOUT FRANCE / Michel Angot
 

 サクレ・クール寺院の西側にあるテルトル広場では、現在は自作を売る画家、即興で似顔絵を描く画家がカンヴァスに向かい、パントマイムなどを演じる大道芸人たちが人々に笑顔を振りまいています。聖なる地から芸術家の集う界隈へ姿を変えたモンマルトル。しかしその表情は変わっても、モンマルトル博物館の裏手にあるパリ唯一のブドウ畑と、ただひとつ残された風車のムーラン・ド・ラ・ギャレットは大切に受け継がれています。

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Update :2010.7.1
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