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パリ右岸の美術散策

瀟洒な館が建ち並ぶ古き良き パリの光景

 フランス語で沼地を表す「マレ」と称されるこの地区は、その名の通り、かつて沼が広がる地域でした。12世紀にテンプル騎士団がこの沼地を開拓したことで、マレ地区は発展していきます。周辺に地下鉄のタンプル駅やタンプル通りがありますが、それもテンプル騎士団の名残からです。

この季節、マレ地区のパリ市庁前広場はビーチバレーを楽しむ人々で賑わいます。
© ATOUT FRANCE / Hervé Guignolet
 

 古くからマレには多くの邸宅が建てられました。例えば、1569年に完成したピエール・オベール(Pierre Aubert)のサレ館。この人物は当時存在した塩税の徴税官で、その自邸は、徴税したお金で建てられたことから、後に「サレ」=「塩味の、しょっぱい」屋敷と呼ばれるようになりました。現在この建物はピカソ美術館*となっています。そして、ケルヌヴロワ夫人(François de Kernevenoy)が所有した邸宅は、彼女のブルターニュ特有の名字に少し手を加え、カルナヴァレ館と呼ばれました。現在パリの歴史博物館であるカルナヴァレ美術館として知られる建物です。このようにマレ地区は、役人や貴族たちが暮らす瀟洒な邸宅が建ち並ぶ界隈として発展していったのです。

 19世紀後半に行われたオスマン男爵の都市改造計画では、道の整備のためパリ市全体の実に6割近くの建物が次々に取り壊されました。しかしマレ地区の多くの邸宅は、幸運にもそのまま保存されます。現在のマレ地区は、服飾関係の店舗やレストラン、バーが建ち並ぶおしゃれな地域です。そして、このマレ地区の東側にあるのが、監獄があったことで有名なバスティーユ広場。バスティーユ監獄は、もともと14世紀後半に侵略者を防ぐために建てられた高さ24mの城塞でしたが、17世紀に監獄として使われ始めました。王印の押された逮捕令状に名前が記された政治犯や思想犯が収容され、その中には哲学者ヴォルテール(Voltaire)や、王妃マリー=アントワネット(Marie-Antoinette)を巻き込んだ詐欺事件「首飾り事件」の首謀者として捕らえられた詐欺師のカリオストロ(Cagliostro)などがいました。

 しかし、世界中の人々にこの監獄の名を知らしめることになったのは、1789年7月14日の民衆蜂起がきっかけです。国王に反旗を翻した民衆によって、バスティーユ監獄は陥落。この大事件がフランス革命の引き金となりました。以降、7月14日はフランス革命記念日として祝日となり、バスティーユ広場はフランス革命のシンボルとして知られるようになったのです。現在広場の中央には、1840年に完成した高さ47mの「7月革命記念柱」がそびえ立ち、自らの力で自由を勝ち取った民衆の勇気を今に伝えています。


*ピカソ美術館は2012年まで改装のため閉館中です。

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Update :2010.7.1 文 : 依田千穂(Chiho Yoda)
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