秋の夜長は、ゆっくりとお気に入りの本をひもといて過ごしたくなるもの。読書の秋にふさわしい「文学」にまつわるスポットをご紹介します。フランスで最も親しまれている女性作家のひとりコレット(Sidonie-Gabrielle Colette/1873-1954)。今年で没後60年を迎えるコレットは、独特の感性で女優やジャーナリストとしても活躍。3度の結婚や同性愛など、奔放な私生活を送ったことで知られ、自由に満ちたフランス女性の象徴的存在です。それでは、コレットの故郷の町、サン=ソヴール=アン=ピュイゼーにあるコレット記念館にご案内いたしましょう。
サン=ソヴール=アン=ピュイゼーはパリから南へ約180km、ブルゴーニュ地方のヨンヌ県に位置する人口1,000人ほどの町。豊かな森に囲まれたこの小さな町を有名にしたのは、20世紀にフランスの女性作家として活躍したコレットの存在です。コレットはこの町で生まれ、穏やかな両親のもと、幸せな少女時代を過ごしました。コレットの故郷の町への強い愛着は、彼女の創作活動からうかがうことができます。処女作である『学校のクローディーヌ』をはじめ、サン=ソヴールの町はコレットの作品の中にたびたび登場しています。町、学校、住居、また近隣の森など、コレットの幼少期の思い出の場所は、彼女の創作活動の直接的なインスピレーションとなったのでした。
「コレット通り」と名付けられた道に佇む簡素な外観のブルジョワ邸宅は、コレットが生まれ、18歳までを過ごした家。現在建物の内部は見学不可ですが、2015年にはこのコレットの生家も記念館として生まれ変わり、一般公開される予定です。
コレットは「クローディーヌ」のシリーズ作品や、『青い麦』、『シェリ』など、自身の体験をもとにした作品を多く残しています。その生涯はスキャンダラスであると同時に、知性と教養に溢れたものでした。
20歳で15歳年上の作家ウィリー(Willy)と結婚したコレットは、1900年に夫名義で『学校のクローディーヌ』を出版し大きな成功を収めます。その後も執筆活動を続けながら、自らの美貌と感性を生かしミュージック・ホールで女優としても活躍しました。ウィリーとの離婚後、新たに出会ったのはル・マタン紙で主筆を務めていたアンリ・ド=ジュヴネル(Henry de Jouvenel/1876-1935)。第一次世界大戦中は、夫とともにジャーナリストとして精力的に執筆活動を行います。しかしド=ジュヴネルの連れ子と恋仲になったことで、2度目の結婚にもピリオドを打ちました。その体験をもとに書かれたのが、少年と年上女性の恋愛をモティーフにした『青い麦』でした。その後コレットは17歳年下の実業家グドケ(Maurice Goudeket/1889-1977)と3度目の結婚をし、晩年まで添い遂げています。
私生活のスキャンダルが取り沙汰されることの多いコレットでしたが、作家としての評価は揺るぎのないものでした。1945年にはアカデミー・ゴンクールの女性初の総裁に選ばれ、名実ともにフランス文学界の第一人者となったのです。
次ページでは、コレット記念館の内部の様子をご紹介します。>>
Update : 2014.10.1 文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
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